性暴力被害の実態を共有できる社会が必要だ 日常と地続きでとらえる自分事にできるか

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伊藤:苦しんでいたある時、取材でお会いした韓国の元従軍慰安婦の方に、自分の経験のことを伝え、「いつになったら涙が止まって、このことを忘れられるんでしょうか?」と尋ねました。彼女の答えは、「死ぬまで忘れられない。終わることはない」と。それは、わかっていた答えでした。でもあらためて「一生この苦しみがずっと続くのか」とも思わざるをえない。

被害者の苦しみに終わりはない

ナディアさんも『THE LAST GIRL』のエピローグで、ご自分の体験を語ることについて、「何度話したからといって、自分の体験を話すのが楽になることはない。話をするとそのたびに、その出来事を追体験することになるのだから」と書いています。私自身、まったく同じことを感じていました。

伊藤詩織(いとう しおり)/ジャーナリスト。エコノミスト、アルジャジーラ、BBCなど主に海外メディアで映像ニュースやドキュメンタリーを発信するほか、世界各国の性暴力に関する取材を進める。New York Festivals 2018では監督したドキュメンタリー『Lonely Death』が銀賞を受賞。著書に『Black Box』(文藝春秋)。

そのような苦しみを抱えているにもかかわらず、ナディアさんが自分の経験をこうやって言葉にしてくれたことに勇気づけられます。彼女自身、語ることに終わらない苦しみを感じているでしょう。でも、それでも語らなければならない、と感じたんだと思います。でも同時に、それだけに頼ってはいけないとも思うのですが。

安田:「もう3年前の話でしょ?」と思う人もいるかもしれませんが、そうではありません。ナディアさんも伊藤さんも、自分の顔と名前を明らかにして前面で訴えてきたからこそ、自分自身のケアが後回しになってしまっているかもしれない。

話してくれたように、その苦しみを忘れることはできないかもしれない。でも、私たちの側が「安心して、忘れても大丈夫、繰り返さないためにすべきことを続けるから」と、受け止めて実践に移さないといけない。そう思います。

荻上:日本の状況にしても、社会全体にセーフティーゾーンがいきわたっているとは言えません。「一生苦しみは続く」というのは重い言葉ですが、苦しい思いをされた方が心のシェルターになるような場所を見つけられるように、社会を整備していくことが必要です。

『THE LAST GIRL』では、イラクで彼女が奴隷として性暴力を受け続けた状況が描かれています。ISISは奴隷売買をSNS上で行っており、ヤズィディ教徒など女性の奴隷の肌を露出した写真をシェアし、それをもとに奴隷の売買を行っていました。

権力の行使が、性の道具化、性暴力という形をとられています。イラクやコンゴの場合にはそれが紛争的状況で行われていましたが、権力の行使という図式で考えたときには、この図式は西洋や日本でも同じだといえるでしょう。

安田:例えば、私が身を置いている写真の世界でも、残念ながらセクハラ、パワハラが蔓延しています。若手の写真家にインタビューをすると、アシスタント時代に殴られたり、嫌な思いをしたという声があり、そういった問題が起こりやすい権力構造が存在しています。

でも、活躍している写真家の中には、「殴られたり嫌な思いをした経験があるから、今がある」と発言する人が少なからずいます。他方で、苦しんだまま沈黙せざるをえない人たちの声は聞こえないままです。

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