性暴力被害の実態を共有できる社会が必要だ 日常と地続きでとらえる自分事にできるか
伊藤詩織さん(以下、伊藤):本の感想の前に1つ。ノーベル平和賞の受賞者が発表される前、#MeToo運動の創始者のタラナ・バークさんの受賞を予想していたメディアがありました。その場合に備えて、私はコメントを求められていたのです。実際に今回この2人の受賞が決まって、もちろん喜ばしく思っていたのですが、ある人々からは、「#MeToo運動が受賞しなくて残念だったね」と。
ナディア氏と#MeToo運動はつながっている
荻上:#MeToo運動と、この2人の性暴力への取り組みとの間に線引きをしてしまっている。
伊藤:そうです。今回の受賞は、性暴力の問題に大きな光を当てた重要なものです。なぜ「#MeToo運動ではない」と分けて残念がってしまう人がいたのでしょうか。
紛争下でのナディアさんやムクウェゲさんの取り組みも含め、あらゆる状況で性被害を受けた人々の苦しみとつなげて考えるべきなのではないでしょうか。
安田:同感です。日常で被害に合われた方がナディアさんの自伝を読んだとして、「こんな極限の悲痛な体験に比べたら、自分は……」と思い込んでしまうことがあってはなりません。
伊藤:実際、私とナディアさんは生まれ育った場所も違いますし、状況にしても直接比べられることは何1つありません。でも、ナディアさんの自伝を読んだとき、同じことを考えていたように思われる部分もあり、共感する場面が多くありました。
個人的な話ですが、先日、海外のイベントに招待され、宿泊先も用意していただきました。その部屋に入ると、私が性暴力の被害を受けたホテルとレイアウトがそっくりで、目にした瞬間にパニックになってしまいました。それで、その部屋に入れなかったのです。
私が被害を受けてから、もう3年以上経ちます。ジャーナリストとしての活動で、安全や命の危険を感じた場面だって何度もあります。なのに、1度の性暴力の経験に、なぜこんなに苦しむのか。
それは、性とは人の根源であって、自分が家だとしたらそれがベースになっているからではないかと思っています。自分を支えるベースが揺らぐと、自分が長期的に崩れてしまう。そして、それこそムクウェゲさんが「低コストの戦争の武器」と指摘したように、「戦争・紛争下での武器としての性暴力」が、組織的に使われてきた理由なのではないでしょうか。