「カメラを止めるな!」俳優の波瀾万丈な生き様 濱津隆之「芸人、DJを経て役者になるまで」

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と自虐的に笑う。しかしキャンパスライフのなかで、芸能の道に進む大きなきっかけと出会う。

「学園祭の運営局に入ったんです。僕が所属したのはその企画班。学園祭で何をするか、どんなタレントを呼ぶか、などを考える役割ですね」

学園祭の運営メンバーになったのが転機に

人を笑わせることが好きな性分が、思う存分発揮された。企画した催しのひとつに、「早食い」ならぬ「早食わせ競争」があった。2人1組がペアになり、手を使えない状態にした「食わされ役」の口に、「食わせ役」がキャベツやバナナなどの食材を押し込んでいくというもの。事故がないよう、実際に体を張って試すことも企画班の仕事だった。

濱津さんは大学生のころから「将来は“音楽”か“芸能”で食べていきたい」と夢をもっていた(撮影:梅谷秀司)

ゲストに呼んだタレントは、アンタッチャブルやテツandトモ、エスパー伊東など。そこでプロのパフォーマンスを目の当たりにした。学園祭当日はステージに立って司会進行もした。そういった経験が積み重なり、将来はお笑いの道に進むことを決意した。

大学卒業後、居酒屋で1年間アルバイトをしてお金をため、NSC(吉本総合芸能学院)に入学。同期の木場光勇(こばみつたけ)氏と「はまつとコバ」を結成する。コント中心の芸風で、濱津さんはボケを担当した。芸風はというと、

「変な人と出くわして困る人、みたいなネタをしていました(笑)。例えば、家で心霊現象が起こったので、解決してもらおうと霊媒師を呼んだら、変な人が来た……っていう。僕も相方もさまぁ~ずさんが好きで、影響を受けていたと思います」

NSC在学中は、将来を期待される選抜クラスに在籍。卒業後も、先輩芸人のライブに出演したり、新人ではなかなか出られない劇場へ出演を抜擢されたりと、順調な滑り出しを切った。ちなみにNSCの同期には、シソンヌやチョコレートプラネット、向井慧(パンサー)、エド・はるみら売れっ子が名を連ね、早々に頭角を表わしていた。負けずに飛躍を目指していたが、1年足らずで濱津さんは活動休止を決意する。

「昔から音楽が好きだったんです。将来は“音楽”か“芸能”のどちらかで食べていけたらと思っていて、お笑いへ進んだものの、音楽への興味も捨てきれず。一度、本気でやってみようと考えたんです。相方はお笑いを続けていく気だったので、迷惑をかける形になってしまいましたが、中途半端な気持ちでお笑いは続けられないというのが正直な気持ちでした」

濱津さんは中学のころから、60~70年代のソウル、ファンク、R&Bなどを聴いて育った。また大学の学園祭運営局時代、ステージでブレイクダンスを披露するダンサーの後ろで、音楽をあやつるDJを見ていたこともあり、チャレンジしたいと思うようになっていたのだ。

コンビを解散した後はDJへ転身。DJを募集しているクラブへ片っ端から連絡し、DJ HAMAONE(ハマワン)として出演させてもらうようになった。実はそれまで、クラブにすら行ったことがなかったが、「僕はDJです、って言えばなれるかなと思って」と、ノリと勢いでデビューしたことを振り返る。

5年ほど活動を続けたが、DJだけで暮らしていける手ごたえは得られなかった。年齢も30歳になろうとしていた。お笑いと音楽にチャレンジし、どちらもうまくいかなかった。一般的には、就職などを考える転機になることが多いが、濱津さんは違った。役者に挑戦することにしたのだった。

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