我慢と自己犠牲を美化する教育勅語のヤバさ 教育勅語が復活すれば子どもが追い込まれる

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教育勅語を美化する風潮は危険だ(写真:ALLIE/PIXTA)  
安倍晋三首相が政権復帰してから6年を迎えたが、文部科学省で事務次官を務めた前川喜平氏は安倍政権に蠢く教育勅語「再生」への野望を憂慮する。前川氏が全3回にわたって、なぜ教育勅語がダメなのか解説する。第2回のテーマは「道徳の教科化は教育勅語復活の始まり」。

安倍首相は第一次政権で「教育再生会議」を、第二次政権で「教育再生実行会議」を設置した。「再生」とは、「過去に生きていたが、現在は死んでいるものを、未来に向けて再び生き返らせること」だ。では、教育における再生とは一体何を生き返らせることなのか。それは結局、教育勅語であり、そこに込められた國體(こくたい)思想である。

第一次安倍政権が2006年に実現したのが教育基本法の抜本改正だ。学校教育、社会教育、家庭教育を通じた教育の目標を法定した第2条には「道徳心を培う」「公共の精神に基づき(中略)社会の発展に寄与する態度を養う」「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する(中略)態度を養う」といった文言が盛り込まれた。

学校教育について規定した第6条では「学校生活を営む上で必要な規律を重んずる」ことという文言も加えられた。そして第16条で、教育は「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」とする文言が入れられ、法律の根拠さえあれば政治がいくらでも教育を支配することができるかのように考えられるに至った。

もともと、学校の「教育課程に関する事項」は、学校教育法33条(及びそれを準要する条項)により「文部科学大臣が定める」とされている。この法律の根拠に基づいて、学校教育法施行規則(省令)や学習指導要領(告示)の形式で文部科学大臣が教育課程の国家基準を定めている。

教育勅語復活への狼煙

2018年度から小学校で実施されている「特別の教科 道徳」も、2015年3月の学校教育法施行規則の改正によって従来の「道徳の時間」を「教科化」したものだ。道徳の教科化は2019年度から中学校でも始まる。

「道徳の教科化」は戦前回帰勢力が永らく求めてきた教育政策である。なぜ彼等は「教科」にこだわったのか。それは、戦前の道徳教育が「筆頭の教科」とされた「修身科」で行われていたからだ。

現在、学校の教育課程には「教科」と教科ではない「領域」とがある。特別活動や総合的な学習は教科ではない領域だ。1958年、岸信介内閣の松永文部大臣の下で導入された「特設道徳」も教科ではなかった。

「教科」と言えるためには、①専門の教員免許状、②検定教科書使用義務、③児童生徒の学習成果の評価、これら3つがそろっていなければならないが、従来の道徳の時間については、専門の免許状を要さず、検定教科書も存在せず、児童生徒の評価も行われていなかった。

道徳の「教科化」を求められた文部科学省は、中央教育審議会で議論した結果、国語や数学と同じような「教科」にするのではなく、「特別の教科」だということにした。つまり、教科そのものにはしていないのだ。

専門の免許状は設定しない。児童生徒の評価はするが、数値による評価はしない。児童生徒同士を比較するような相対評価もしない。できる評価は「個人内評価」。つまり、一人ひとりの児童生徒が学ぶ前と学んだ後とで、どのように成長したかを記述式で評価するという方法だけだ、ということになった。一方、検定教科書使用義務は、教科と同じく課されることになった。

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