前川喜平氏が憂慮する「安倍政権に蠢く野望」 戦前回帰の教育勅語がダメな理由を徹底解説

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私は途中までは答弁資料のとおり答えていたのだが、「今日でも通用する」まで言ったところで、「それは違うだろう!」という心の声が聞こえた気がした。その強い違和感のため、私はそれに続く答弁を資料のとおりには読まなかった。

「今日でも通用するような」と意味をぼかし、「普遍的な」という言葉や「教材として」という言葉は出さず、最後は「活用することは差し支えない」と言い切らずに「活用するということは考えられるというふうに考えております」と、曖昧な言い方をした。

しかし、下村大臣はこの私の答弁では不十分だと考えたのであろう。私の答弁の後を追って自ら答弁に立ち、教育勅語の中身には「普遍的な」ものがあり、その中身を「教材として」使うことは「差し支えない」と答弁したのである。

さらに安倍政権は、2017年3月31日の閣議決定で「憲法や教育基本法等に反しないような形で教育に関する勅語を教材として用いることまでは否定されることではない」と表明した。

この閣議決定では、道徳の教材として使えるとも使えないとも言っていないが、このような反憲法的文書を道徳の教材として使うことは考えられない。仮に学校の教材として使うことがありうるとすれば、それは歴史を学ぶ際の史料としてだけだろう。

教育勅語というイデオロギー

教育勅語の復活をもくろんでいるのは柴山氏や下村氏だけではない。2018年3月8日、参議院予算委員会で教育勅語に対する考えを訊かれた稲田朋美防衛大臣(当時)はこう答弁をした。

「私は、今、教育勅語に対しての自分の考えは、その教育勅語の精神ですね、日本が道義国家を目指すという、その精神は今も取り戻すべきだというふうに考えております」

同年10月29日、衆議院本会議での稲田氏(自民党筆頭副幹事長)による代表質問では、日本の民主主義が聖徳太子の「和を以て貴しとなす」以来の「わが国古来の伝統」だとする珍説も開陳されたが、マイノリティ、社会の多様性、人権などに言及した際には、これらを「世界から尊敬される『道議大国』を目指すため」取り組むべき課題だと発言した。

「国民道徳協会」なる団体が作成した教育勅語の「口語文訳」によれば、勅語の冒頭部分「朕(ちん)惟(おも)フニ我カ(が)皇祖皇宗(こうそこうそう)國ヲ肇(はじ)ムルコト高遠ニ徳ヲ樹(た)ツルコト深厚ナリ」は、次のように訳されている。

「私は、私達の祖先が、遠い昔遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます」

皇祖とは、天皇の先祖のうち神代の時代の神々のこと。最初の皇祖は高天原(タカマガハラ)に住まう女神、天照大神(アマテラスオオミカミ)だ。その神が自分の孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を日本列島に降ろし、「この国は私の子孫が王となるべき国だ。孫のお前が行って治めよ。お前の子孫による統治が代々栄えることは、天と地(壌)に果て(窮)がないのと同じく永遠であろう」と命じた。これを「天孫降臨」と言い、その時の命令を「天壤無窮(てんじょうむきゅう)の神勅(しんちょく)」という。

皇宗とは、天皇の先祖のうち人間として皇位についたとされる人々のこと。最初の皇宗とされるのが神武天皇だ。彼は日向から大和へと攻め上り、橿原宮(カシハラノミヤ)で初代天皇として即位したとされる。歴史学上は実在の人物とはされていない。

その即位の日を、明治政府は日本書紀の記述をもとに計算し、西暦紀元前660年の2月11日だと特定した。考古学上は縄文時代に属する時期だ。この神武即位から年を数える数え方が「皇紀」だ。1940(昭和15)年には「皇紀2600年」が大々的に祝われ、「紀元二千六百年」という歌も作られた。

こうした遠い昔の天皇の祖先が、日本という「國ヲ肇ムル」(国を作った)だけでなく、日本人のための「徳ヲ樹」てた(道徳を樹立した)というのが、教育勅語の言い分なのである。道徳と共につくられた国だから「道義国家」というのだろう。その道徳の中心は忠と孝だ。

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