野球と役所の街、「関内」駅が直面する転換点 地域の歴史は幕末に始まったが、駅は新しい

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しかし、五方面作戦や根岸線建設は横浜のベイエリアを都市化させ、それが人口増を招いた。皮肉にも、横浜―東京間は混雑が激しくなるという、想定とは逆の現象をもたらした。

その後、1972年に市営地下鉄が上大岡駅―伊勢佐木長者町駅間を開業させ、1976年には横浜駅まで延伸。中間に関内駅が開設された。

鉄道網の整備とともに、関内駅とその周辺エリアは横浜の中心地として発展を遂げていく。

市庁舎移転という新たな問題も

横浜は150年間にわたって外国文化で育てられてきた。とりわけ、関内はベースボールというアメリカ文化に大きな影響を受けている。ベイスターズと関内駅の密接かつ友好的な関係も、そうした歴史があってこそ成り立っている。

2020年に移転予定の横浜市役所(写真:Ryuji / PIXTA)

平成も終わりを迎える今、関内駅は市庁舎の移転という新たな問題に直面している。関内駅はベースボールタウンでもあると同時に、横浜市役所の最寄り駅でもある。

関内は官庁街として発展してきた側面もあるため、市庁舎移転や跡地の再整備計画によっては発展にブレーキがかかる可能性もある。アメリカの文化で育ってきた関内は、新たな発展の方向を模索する時期にきている。

小川 裕夫 フリーランスライター

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おがわ ひろお / Hiroo Ogawa

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーランスに。都市計画や鉄道などを専門分野として取材執筆。著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)、『封印された東京の謎』(彩図社)、『東京王』(ぶんか社)など。

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