「エモい」で判断するのがあまりに危険なワケ 共感できない相手こそ「対話」することが必要

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最近ではこの、人間の「エモい」性質を使って、社会をよりよくしようとする研究も進められています。その代表格がノーベル経済学賞受賞者リチャード・セイラーとハーバード大学の法学者キャス・サンスティーンらが主張するナッジ(nudge)。心に響くちょっとした仕掛けを施すことで、社会問題を解決しようというものです。

有名な事例が「男性用小便器の的」で、小便器の中央部にハエや的の小さな絵を描いておくと、そこに向かって排泄されるので、便器の外が汚れづらくなるそうです(食事中の方、申し訳ありません)。

こうして考えると、社会はもっと「共感」や「エモい」反応を大事にしていくべきではないか、現実に即さない「合理性」は忘れたほうがよいのではないか、と思われるかもしれません。しかし、何事にも副作用があり、その副作用のほうを心配しているのはおそらく筆者だけではないはずです。

感情的な判断の危険性

感情に基づく反応は極めて強力です。だからこそナッジが社会によい影響をもたらしてくれるのですが、逆に、それを悪用しようとする者がいれば、どうなるでしょうか。企業や政党が私利私欲のため、本来の意図を隠して人々の共感に訴えかけることも十分考えられます。

道徳心理学者ジョナサン・ハイトが『社会はなぜ左と右にわかれるのか』という著作で説明していますが、人間は情報を総合的に評価してから理性的に判断を下すのではなく、本能的に判断を下してからその理由を後づけするという説があります。

つまり、瞬間的に共感するかどうかを判断してから、その共感を正当化するための理屈を事後的につくり出しているというのです。これが本当なら、誰かを説得したいとき、理屈よりも印象が大事だということになります。説得される側も、好印象ならそれを正当化する理由を考え出し、悪い印象ならそれを否定する材料を集めることになります。

実際、最近のネット言説を眺めていると、まさにこの悲しい人間の本性が露骨に表れているように見受けられます。自分が信奉する人やメディアが言うことはすべて隠された真実、キライな人やメディアの言うことはすべてフェイクニュース、という反応は、イデオロギーの左・右問わず見られます。

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