「エモい」で判断するのがあまりに危険なワケ 共感できない相手こそ「対話」することが必要

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ここで「だって人間だもの」とあきらめて、瞬間的な共感(反感)ですべて判断してしまってよいものでしょうか? 実際、思考停止でも十分な場面もたくさんあることでしょう。

男子が小便器の的を見たら、何も考えずに的を狙えばいいように、ナッジが提案するトリックにみんなが「だまされる」ことで、納税率が上がったり、犯罪が減ったり、社会はよくなるかもしれません。そもそも個人の趣味のレベルであれば、「エモい」音楽や映像で気持ちよくなっている人に文句をつけるなど、無粋というものです。

しかし、選挙で政党や候補者の名前を投票用紙に書くときや、地元で建設が予定されている施設の説明会で発言するときの判断も、共感だけに基づいていいものでしょうか? これらの判断と、小便器を使うときの判断が同じでいいはずがありません。あるいは、SNSやニュースサイトのコメント欄に自分の考えを書き込むときも、共感レベルの本能的な反応を示すだけでいいのでしょうか?

共感を疑ってみる

ダニエル・カーネマンは、『ファスト&スロー』の中で、人間の非合理的な側面を実証しながら、人間の脳内にある「システム1」と「システム2」の存在を指摘しています。

システム1とは、行動経済学の実験やナッジの実践が着目する、感性的で即断的で、「非合理」なことも多い判断のシステムです。システム2とは、事実や仮説を検証し、何が正しいのか、頭を使って熟慮するシステムです。

実際に起きている深刻な社会問題やネット上での言論に対し、誰もがシステム1だけで発言したり、行動したりするようでは、おそらく、問題は解決しないどころか、社会の分断が進むだけでしょう。むしろ、わたしたち1人ひとりが、システム1に偏りがちだという人間の弱点を認識したうえで、その本能的反応を乗り越え、意識的にシステム2で問題を考えていくことが必要です。

そのためには、まず、自分の共感(反感)を疑うことから始めなければなりません。共感できない他者に対して無意味な攻撃に走らず、寛容になる能力、あるいは無視する能力が必要です。

システム1の弱さを克服したうえで、システム2を駆動して、共感できない人たちとも「共存」するための解決策を見つけることができれば、より生きやすい社会へと近づくことができるのではないでしょうか。事実、ちまたで言われる「WIN-WINの解決策」とは、共感ではなく共存によって初めて成立するものです。

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