東急「田園都市線」と「田園調布」の関係は? 「都心への通勤」前提の街、高齢化でどうなる

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そして第二次大戦後に建設されたのが、郊外開発の集大成ともいえる多摩田園都市だ。

戦後の東京では1949年に転入制限が解除され、人口流入が急増していた。1945年に348万人だった東京都の人口は、1952年には684万人までふくらんだ。この機を捉え、東急会長の五島慶太は1953年に「城西南地区開発趣意書」を発表した。のちに多摩田園都市となる新たな都市の建設を構想したものだ。

この中の大きな柱として渋谷と江ノ島を結ぶ自動車専用道路「東急ターンパイク」とその補助路線があった。鉄道ではなく「道路」の存在が大きな意味を占める計画だったのである。五島が見据えていたのは、当時アメリカですでに進展していたモータリゼーションだった。日本でも近い将来モータリゼーションが進むであろうと読んでいたのだ。

開発趣意書では、まず「東急ターンパイク」と住宅開発地を貫く補助路線を活用し、通勤者はバスで輸送することを計画していた。しかし、この計画は建設省によりなかなか認可されなかった。また、開発地域からは鉄道の建設を求める陳情が相次いだほか、国の施策による制限が一時かかるなど情勢はめまぐるしく変化し、最終的にはまちづくりの計画を鉄道主体に変更することとなった。こうして建設されたのが田園都市線だ。

「歩車分離」の街並み

美しが丘にある「クルドサック」。街路の終端部をサークル状にし、通過交通を防いでいるのが特徴だ(筆者撮影)

多摩田園都市の開発は1959年の野川第一地区を皮切りに始まり、1966年には田園都市線溝の口―長津田間が開通。また1963年から開発が行われた「元石川第一地区」、すなわち現在の横浜市青葉区美しが丘(たまプラーザ駅北側)では、歩道と車道を完全に分離し、住宅地内の車道は通り抜けができない袋小路状の「クルドサック」とするなどの手法を取り入れた。

こうした計画的な街並みが良質な住宅地として注目され、たまプラーザをはじめとする多摩田園都市は「高級住宅地」のイメージを確立することとなった。人口は1970年ごろを増加率のピークとして今も増え続けており、現在は多摩田園都市全体で約62万人が居住している。

だが、今後はこのエリアも少子高齢化・人口減少時代に突入していこうとしている。すでに課題となっているのは「住民の高齢化」だ。たまプラーザ駅周辺の高齢化率を見ると、美しが丘3丁目で30%を越える。同じ多摩田園都市でも辺縁部では同じように高齢化率が30%近いエリアがいくつも見られる。

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