東急「田園都市線」と「田園調布」の関係は? 「都心への通勤」前提の街、高齢化でどうなる

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田園都市株式会社の中心的メンバーであった実業家の渋沢栄一は「わが田園都市に於いては東京市という大工場へ通勤される知識階級の住宅地を眼目といたします結果、いきおい生活程度の高い瀟洒な郊外新住宅地の建設を目指しております」と前置きしたうえで、日本の田園都市の要件を以下のように挙げている。

・土地高燥にして大気清純なること
・地質良好にして樹木多きこと
・面積少なくとも十万坪を有すること
・一時間以内に都会の中心地に到着し得べき交通機関を有すること
・電信、電話、電灯、ガス、水道などの完整されること
・病院、学校、倶楽部等の設備あること。
・消費組合の如き社会的施設も有すること

「東京市という大工場へ通勤される知識階級の住宅地」「一時間以内に都会の中心地に到着し得べき交通機関を有すること」とあるように、同社の考える田園都市は、当初から職住近接ではなかった。会社設立趣意書では「都会に集中せる人口の過剰を農村に移植し、以て都会に潜在する各種の弊害を緩和すると同時に、農村の復興を図らんとする」としており、内実は理想の都市建設よりも人口過密の解消を目的にしていたのである。

このため、同社の住宅地は東京都心に通勤する人を主眼として造られた。通勤輸送のためには鉄道が必要であり、田園都市株式会社は鉄道の建設に乗り出す。この鉄道部門が独立する形で1922年9月に創立された目黒蒲田電鉄が現在の東急電鉄のルーツである。

田園調布はアメリカの街がモデル

田園調布では、住民組織「田園調布会」の制定した「田園調布憲章」に基づいて町並みが保たれている(筆者撮影)

続いて田園都市株式会社は「多摩川台地区」を開発した。現在の田園調布だ。この時にレッチワースだけでない土地開発の思想が入る。東京都市大学の涌井史郎特別教授によれば、この際に欧米11カ国を視察した渋沢栄一の息子、秀雄が感銘を受けたのは、サンフランシスコの郊外住宅地セント・フランシス・ウッドであったという。

セント・フランシス・ウッドは、サンフランシスコ市南部にある同市屈指の高級住宅地だ。この街並みでは曲線道路を用いてアクセントを付ける手法が用いられた。そして街の入口には名前を冠したゲートやモニュメントを置くことで周辺との差別化を図っている。田園調布は、この街を気に入った秀雄によりプランニングされた。

現在の田園調布駅は地下駅になり、地上部は開業時の旧駅舎をシンボルとしたショッピングセンターになっている。西側の駅前ロータリーは車による送迎も多く、駅を中心としながらモータリゼーション前提の住宅街としても機能していることがうかがえる。

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