なぜ「ほほ笑みの国」で暴動が頻発するのか タイで反政府デモが激化、日本企業への影響は?
まず1つは、投資判断が遅れる可能性がある。BOI(タイ投資委員会)の最高意思決定権はインラック首相に属している。長期にわたって政府機能がマヒすれば、日本企業が参画している大規模投資の意思決定が止まってしまう。
また、小売りなどサービス業への影響も懸念される。バンコクの繁華街の治安が悪化すれば、日系商業施設への客足が確実に減少する。2010年の暴動では、伊勢丹は年商30億円前後のうち、7億円超の機会ロスが発生したという。
政局揺るがす、タクシン氏の影
それにしても、なぜタイでは数年おきに反政府デモが発生するのか。
その不安定さを生み出したのは、2006年の軍事クーデターで政権を追われたタクシン元首相であることは間違いない。彼が首相時代に採ってきた政策が、現在の対立につながっている。
タクシン氏は警察官僚出身で、のちに実業家として移動通信事業で富をなす。その後は下院議員として政界入りし、1997年にタイ愛国党を結成。豊富な資金力を背景に、首相へと上り詰めた。
在任中(2001~2006年)は農村振興、麻薬撲滅、30バーツ(約100円)医療といった政策を打ち出し、公的資金を大量にばらまいた。これらの政策で地方住民や貧困層に厚い支持を得た一方、人口600万人のバンコク市民や既得権層が強く反発。これが反政府運動、ひいてはクーデターへとつながった。
2006年1月、タクシン氏が設立したシン・コーポレーションを733億バーツでシンガポールの企業に売却した際、売却益への課税が十分になされなかったことで批判が高まった。結局、タクシン氏は批判をかわしきれず、4月に辞任。9月には軍事クーデターが起こり、国外へ逃亡して以降は事実上の亡命生活に入っている。
構造問題に加え、王室内の軋轢も
しかし、タイ国内では、タクシン失脚後も彼を支持し帰国を願う支持者(反独裁民主戦線、UDD)と、不正や腐敗、あるいは既得権益を奪われることを嫌う反タクシン派(民主市民連合、PAD)の対立が続いた。
UDDの支持者はタクシン氏の地盤であるタイ北部や農村、貧困層が、PADはバンコク市民や上・中間層、官僚、軍が、それぞれの中核を成している。両派の対立は「都市と地方」「富裕層と貧困層」「持つ者と持たざる者」という、タイという国の構造的な問題に根ざしているわけだ。
さらに、プミポン国王側にも混乱の火種がある。ワチラロンコン王子がUDDを、聡明な賢女として知られているシリントン王女がPADを支持しているとされているためだ。今回の暴動が早期に収束したとしても、根深い対立構造が解消するのは簡単ではないだろう。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら