京都市民が「長男の京大進学」を喜ばない事情 京大への進学は「合法的な家出のコース」だ
井上:この現象は、日本文化論のテーマになると思います。たかが茶の、しかも飲み方の作法だけを伝える家が千家何代当主とか、器を扱う家の由緒がどうとかね。こんな言い方、ちょっと差別的になって申し訳ないのですけれども、爵位を持っていたという人たちならともかく、一般市民に毛が生えたようなのが、何百年続いているということを誇らしげに語るというのは、やっぱり、なんかどうなんでしょうね。
鹿島:そうね、かなり特殊ですよね。
井上:よく中国の人が、日本に来て言うんです。「器を作る家が、数百年の由緒を誇るという。信じがたい」と。
鹿島:だから、それは「何代目」という、直系家族的な発想なんです。実を言うと、僕の実家は横浜の端っこのほうの酒屋で、天保年間創業だから、長男の僕が継いでたら6代目なんですよ。祖父の代から落ちぶれているから、まったく自慢になりませんが。
とにかく「歴史の由緒」を誇りたがる京都市民
井上:パリにもね、京都のように創業何年とかを誇らしげに自慢してる店はあるでしょう。
鹿島:あることはありますね。
井上:フィレンツェなんて結構ありますよね。
鹿島:フィレンツェはすごいですね。でも、パリにはそこまでないな。アンシャン・レジーム(旧制度 ※10)ぐらいから続いてる店というのも、そんなに多くはないですね。フランスには「売官制度」というのがあって、フランソワ1世(※11)の時代からこれが盛んになる。金ができるとブルジョワは、息子に高等法院の官職を買ってやり、法服貴族(※12)にする。息子が貴族になったら、親は出自を隠すために廃業する。これの繰り返しだったから、創業何年というのを誇りにする伝統というのは、生まれなかったのですね。むしろ、子どもを貴族にすることができなかった、落ちこぼれということになってしまう。
――フランスでは、元大統領のシャルル・ド・ゴール(Charles de Gaulle)のように、貴族の称号である「ドゥ(de)」が名前に付いている人も少なくないですよね。貴族の家系は連綿と続いているという印象があります。貴族ではないのに、ドゥが名前に付いている人もいるようですが。
鹿島:「ドゥ(de)」というのは「帯剣貴族のフィエフ(封地)」を示すための前置詞です。確かに貴族の印ではありますが、19世紀になると、貴族でもないのに文学者たちの中には、オノレ・ド・バルザック(※13)のように勝手にドゥを付ける人も現れる。一方、先ほどの法服貴族のほうは、ドゥがなくても貴族です。ただ、いずれにしろ、貴族制度はフランス革命でいったん廃止されてから王政復古(※14)で復活し、以後そのままになってしまったから、まったく無傷で生き延びちゃってます。
直訳すると「古い体制」。16世紀からフランス革命が起こるまでの、ブルボン朝の絶対王政下の社会体制。
※11 フランソワ1世
ヴァロワ朝第9代(ヴァロワ=アングレーム家第1代)のフランス王。絶対王政の強化に努めたり、レオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに迎えてルネサンス期の文化を保護したりした。
※12 法服貴族
アンシャン・レジームのフランスで、司法や行政などの官職に就くことで身分を保障された貴族。
※13 オノレ・ド・バルザック
フランスを代表する、リアリズム(写実主義)文学の小説家。長編、短編小説をまとめた小説群『人間喜劇』を執筆した。
※14 王政復古
ナポレオン第一帝政の後、フランスで復活したブルボン朝のルイ18世、シャルル10世の支配時代。1814年から、七月革命が起こるまで続いた。