京都市民が「長男の京大進学」を喜ばない事情 京大への進学は「合法的な家出のコース」だ
井上:貴族は続いてるんだと思うのだけど、商店が続いているというのは……。
鹿島:そんなにないですね。ブルジョワの目的は、家を永続することではなく、貴族に成り上がることですから。
井上:京都では、創業寛永何年とか創業元禄何年とか、店の看板に結構書いてあります。最近も、八ツ橋を営んでいる店同士のさや当てがありました。「お前のところがうたっている創業年代には、虚偽がある。いかにも古そうな言い方は、改めろ」って。訴訟沙汰にもなりました。とにかく、歴史の由緒を誇りたがる。そういうプライドの持ちようは、パリの商人にはないんですか。
鹿島:老舗というのは、むしろ直系家族のいる地方に多い。南仏やドイツ国境には、直系家族の同族企業がかなりあります。
京大生に「京都市民」が少ないのはなぜ?
井上:実を言うと、京都大学の学生に、あんまり京都市民はいないんですよ。多分1割もいないと思います。ましてや、創業寛永何年とかいうようなお家のボンは、数えるほどしかいない。でも、皆無じゃあありません。いくらかはいるんですよ。それがね、みんなおしなべて言うんです。「京大、入れてよかった。これで親父は、俺のことをあきらめてくれる」って。
つまり、入れなかったら跡継ぎにさせられるんですよ。ところが、京都大学の、たとえば大学院まで行くと、これが「合法的な家出のコース」になるんです。
鹿島:なるほどね。私の生まれた横浜にも、家の近くに関東学院大学という古い一貫校の私立大学があって、昔は、商店の親父が子どもを小学校からここに入れてました。進学校に行って、中央で働くなんて言われたら困るので。商売継がせるために、小学校からエスカレーター式でこの大学に行かせたんです。
井上:京都では、それが同志社なんです。僕は学生時代に、町屋の建築調査をしました。そのときに、ある旦那から言われたんですよ。「君、京大の子やな」と。「われわれのところでは、子どもが京大に入ったら、近所から同情されるんや。『もうあそこ、跡継いでくれへんわ』と。賢いことが悪いわけやない。だけど、同志社くらいが頃合いなんや」と。「同志社に行けば、長く続いたブルジョワ同士のコミュニケーションがそこで培われるし、将来この街を背負っていく旦那にもなれる。京大なんか行ったらあかん」というふうに。
鹿島:なるほど。慶應大学も、昔はそうでしたね。
井上:そういうお家のボンで、京大を出た人から聞かされたことがあります。「弟が因果を含められ、跡を継いでる。正月に帰ると、弟にいろいろ愚痴られる。『兄ちゃんはええな、好きなことして』と」。創業数百年の名家になるとね、しきたり、親戚の陰口、もう大変なんですって。「もう嫌や」と。そういう街中の人の前にね、私みたいな洛外の嵯峨で育っているという田舎の子が来ると、「君はいいなあ。自由で、好きなことができて」というふうに、まず思うんでしょう。
「400年続いたこの家で、われわれがどんなしんどい思いをしているか、君にわかるか?」というのが裏面にあって、洛外者に対する、いけず口になるんじゃないかなと思いますね。パリでは、これはありえへんわけでしょうかね。
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