中央線・西武・東武、まるで異なる「沿線地形」 同じ起点でも「上る」池袋線と「下がる」東上線

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西武池袋線と東武東上線とは同じ池袋駅をターミナルとする私鉄なので、比較的似たイメージを持つ方も多いかもしれない。ところが断面図を見比べれば一目瞭然で、こと地形に関してこの両路線の相異は、前述の京王と小田急の違い以上に極端に異なる。

図2 西武池袋線池袋―狭山ヶ丘間の断面図(図表:『地形と地理で解ける!東京の秘密33 多摩・武蔵野編』より加工)

西武池袋線は池袋から所沢の先の飯能までが大正4年に開業した。東武東上線は池袋から川越町(現川越市)駅の先まで(同駅ひとつ先で現在は廃止された田面沢駅まで)が大正3年に開業している。いずれも関東大震災(大正12年)の前であり、両路線は小田急線より古く京王線の世代、すなわち大正初期生まれ世代に属する。

都心と郊外の住宅地を結ぶ通勤路線として敷かれたというよりも、沿線内移動の足としての性格が強い。

西武池袋線は中央線より緩やか

西武池袋線の断面図は、新宿から所沢の手前まで、勾配の上り方が中央線のそれよりやや緩やかなのも特徴のひとつだ。

またこの両路線では貨物輸送にも重きが置かれていた。現在の鉄道会社、西武鉄道は、昭和20年9月に前身の武蔵野鉄道が旧西武鉄道を吸収合併して形作られるが、その時の名称は西武農業鉄道(翌21年11月西武鉄道に改称)である。社名に「農業」を冠した鉄道会社は非常に珍しい。それだけ沿線の畑の生産物および肥料の貨物輸送を重要と捉えていた。

筆者が小学生だった昭和40年代、親類が西武池袋線沿線に住んでいてよく利用したが、同線のことを「昔は糞尿電車だった」と揶揄する声を沿線住民何人かから聞いた。

太平洋戦争中、敗色が濃くなってきて都会での食料不足が深刻になってきた昭和19年6月、東京都の方針を受け、西武池袋線では都心から沿線農家に肥料(糞尿)輸送を開始した。専用の木製タンク車が用意され、東久留米ほかいくつかの駅に糞尿積卸場および側線が設置された。沿線から都心へは採れた野菜を輸送した。

またそれ以前にも大正時代末頃から糞尿輸送をしていたとの記録もある。糞尿輸送は西武新宿線や東武東上線でも行われ、西武池袋線の例では昭和20年代半ば頃まで続いた。

西武池袋線は、緩やかに上る断面図が示すように、沿線に畑が多く、そうした沿線の人々や貨物を輸送することを目的に敷かれた。田無という言葉が示すように水田はない(田無の語源には他の説もある)。

戦前から戦中にかけては沿線に軍需工場もでき、戦後団地をはじめとした郊外住宅地が出来上がっていく。

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