中央線・西武・東武、まるで異なる「沿線地形」 同じ起点でも「上る」池袋線と「下がる」東上線

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台地内の川は、低い東へと水量を増しながら流れるので、武蔵野台地は概して東側ほど浸食が進み地形が複雑になっている(このほかの要因として武蔵野面、下末吉面など地質年代の相異もあるが、ここでは地学的詳細の説明は避ける)。

たとえば中央線でも、新宿より東側の神田―新宿間では、低地からいきなり凸凹地形の中に入ったり(御茶ノ水付近)、片側を外濠、片側を崖といった中を走ったり(市ヶ谷付近)、トンネル(四ツ谷駅西の新御所トンネル)を抜けたりといった変化に富んだ車窓が展開する。

それに対し新宿の西側では、上記のように神田川などの谷もさほど大規模ではなく、国分寺のすぐ先で源流近くの野川を越える地点など、細い流れなので線路は橋を必要とせず築堤で進んでいる。野川は築堤下を小さな水路トンネルでくぐっている。そのためここでは、川を渡ったことに気がつきにくい。

中央線国分寺―西国分寺間の野川を越える地点(筆者撮影)

中央線の新宿―八王子間は、明治22年、私鉄の甲武鉄道として開業した。開業時の途中駅は中野、境(現武蔵境)、国分寺、立川だけだった。その後同24年に荻窪、同23年に日野の各駅が開業している。

断面図で上り続けているということは、水田を作れる平坦地ではないということでもある。明治時代半ばの地図を見ると、沿線で人家のあるのは各駅前くらいで、それ以外のほとんどは雑木林と桑畑である。

中央線は、街道沿いの集落や田畑を営む農家など、沿線の乗客を利用客として第一義的には想定せず、当時絹の集散地として栄えた八王子やそれ以西と都心とを直結させるのに能率的なコースを取っているわけである。この点が江戸時代以来の甲州街道の集落を結んで走る京王線とは決定的に異なっている。

日野駅周辺の地形の特徴

立川を過ぎると、線路は左にカーブして武蔵野台地と別れ多摩川の低地に出る。その様子は断面図でもよく表されている。多摩川を渡った先が日野である。 

日野駅付近は明治や大正時代頃の乗客にとって印象深い地に映っただろう。新宿を出て車窓に延々と武蔵野の樹林が続いていたのが、日野駅手前で突如低地に出て視界が開け、水田が目の前に広がる。

入母屋造りが特徴の日野駅の駅舎(筆者撮影)

駅前には室町時代後期に造られた日野用水が流れ(現在も流れている)、多摩の米蔵と呼ばれた一帯の水田を潤している。新宿で分かれた後、ずっと別の場所(京王線沿線)を通っていた甲州街道ともここで初めて出合う。

現在の日野駅の駅舎は、付近に多かった米作農家の旧家スタイルをベースにかやぶきを連想させる入母屋(いりもや)造りとなっている。御茶ノ水駅の駅舎も設計した伊藤滋によるもので昭和12年の竣工。都内の駅舎の中でも原宿、高尾と並んで屈指の歴史的価値のあるものだが、まさに同駅にふさわしい。

線路はこの後、高尾の先、小仏峠のトンネルまで上り続ける。山手線より西側の都内に鉄道などまったくなかった明治半ば、東京から甲府方面へ鉄道を敷設しようとした際、障害となる谷が少なく、人家がほとんどないので土地の接収も比較的容易な同コースを選択したのは、理にかなったものだった。

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