間慎太郎「寛平の息子」として葛藤した昔と今 二世タレントが歩む、後悔のない生き方
「口には出さないですけど、いろんなもの背負って、もう1回踏ん張らないと駄目だなっていうのが見えた時に、きっと相手からも僕はそういうふうに見えてるんだろうなと。隠してるつもりでもそういうのは出てると思います。
でも、僕にとっては誇りに思えることでもあるし、今まで生きてきたことの足跡みたいなものが、それに出てるっていうことで。それは決してマイナスではないんです。だからこそもう1回ちょっと『お互い頑張ろうや』っていう意味で作りましたね」
慎太郎は、音楽を通して成し遂げたい目標として、大きな会場でライブをやることやCDをたくさんの人に届けたいという思いもある。
その思いは今も昔も変わらないが、37歳になって思うことは、やり続けることも簡単じゃないということだ。
慎太郎の原動力は何か
音楽を続けられているという感謝の気持ちを持ちながらも、気持ちが折れそうになったことは多々あった。そこで踏みとどまれる原動力はどういうものなのか。
「ライブまたやりたいなって気持ちですね。ステージに立つと、すべてそれで救われるというか。ライブに来てくれるお客さんは同級生みたいな存在。僕が作った曲で支えてあげられるときもあるだろうし、逆に僕が励ましてもらうときもあるし、背中を押したり、押されたり、そういう仲はクラスメートと似てる気がします。これからもいい曲作るから転校しないで、長い同級生でいてねと言いたいです」
平成最後の冬を彩るにふさわしい、映画『ボヘミアン・ラプソディ』でもあるように、ライブ・エイドへの参加に向け、バンドメンバーを説得する際のフレディ・マーキュリーは、こんなメッセージを伝えた。
「このライブに出ないと、俺たちは次の日から死ぬまで後悔するぞ」
シンガーソングライターとは、歌詞のワンフレーズに自分の人生を丸ごと勝負する生き物なのかもしれない。
後悔をしない人生を生きるために、ギターを抱えて、ステージへと歩き出す。
「同世代の働く人たちの背中を押したい」
二世タレントとしての苦しみを味わいながらも、自分の音楽を貫き、歌い続ける間慎太郎の生き方こそ、多くの人々の背中を押すメッセージになっていくのかもしれない。
(文中敬称略)
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