間慎太郎「寛平の息子」として葛藤した昔と今 二世タレントが歩む、後悔のない生き方
「中一の時に、風疹にかかっちゃって、学校を1週間休まないといけなくなったんですよ。父親がすごく(忌野)清志郎さんを好きということもあって、そのとき暇だったので清志郎さんのビデオを観てみたんですよ。
そしたらもう『かっこえー!』と思って。清志郎さんのアウトローなところに刺激を受けて、家にたまたまフォークギターがあったので、弾けもしないのに適当にかき鳴らして、『風疹だぜー!』みたいなことをずっとやってたんですよ(笑)」
幼い頃から、さまざまなことに好奇心を持った慎太郎だったが、清志郎から受けた音楽の影響は、日に日に強く心に紡がれていった。独学でギターを練習し、中学時代はずっとギターを弾いて過ごした。高校に進学するとバンドを組み、ライブ活動に精を出した。
小6で抱いた“東京に出る”という気持ちは変わらず、関東に出て音楽活動を続けたいという思いが膨らんだ。そんな息子の姿を見守りながらも、父の寛平は関東に行くために、1つの条件を出した。
「高校1年くらいの時に父親から、教員免許を取ってほしいと言われたんです。父親は教員になりたかったんですけど、勉強するお金がなくてなれなかったんです。それで父に、教員免許を取るっていう約束を守ってくれたらライブをやってもいいと言われました」
念願のデビューを応援してくれた父・寛平
スポーツが得意だった慎太郎は、保健体育の先生で教員免許を取ることを決め、体育科のある関東の大学に進学した。
大学に進学してからは、学業と両立して音楽中心の生活になり、週に1本以上ライブ活動をしていた。
教員免許も取得し、大学も卒業した慎太郎は23歳の時にシンガーソングライターとしてデビューを果たした。デビューの際は父からは、まったく反対されることもなく、応援してくれたという。
そんな父を近くで見てきたが、芸人を目指す選択肢はなかったのか。
「よく聞かれますが、芸人としての父が幼稚園の時からすごく好きで、今もすごく尊敬していて、家でもずっと母親が父親のテレビも流してました。
でも、お笑いっていうのは、観るものっていう感じで、自分がそういうことをできるとは思いもしませんでした」
駆け出しの20代前半の頃は“寛平の息子”“親の七光り”といった周囲の反応に過剰に反応してしまう時期もあった。
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