間慎太郎「寛平の息子」として葛藤した昔と今 二世タレントが歩む、後悔のない生き方

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それでも「二世でも、歌を作って歌うのは自分」という信念をつねに持ち続けながら、たどり着いた境地があった。

「葛藤はあるんですけど、どっかで一歩引いて、俯瞰で見てもいたので。そういうふうに見られても仕方がないのかなと思ったりもしてました。俯瞰して見ていたことが、だんだんと自分の本当の心に追いついてきたら、すごく楽になりましたけどね」

そして慎太郎が30歳を迎えた時に、父親との生涯忘れられないエピソードが生まれた。

マラソンとヨットで世界一周する「アースマラソン」に挑戦中の間寛平が前立腺がんが判明し、マラソンを一時中断し、治療に専念した時期だ。

1人の男として見てくれた

「父親がアースマラソンをやっていた2年半くらいの間、自分は1回しか応援に行けてないんですよ。しかもそれも番組のサプライズ企画として行っただけ。だから結局プライベートで行けてなくて。それから2年くらい経った後に父親ががんになって、日本に戻らずに海外で手術してっていう時に、自分はなぜ応援に行ってなかったのかと、父親に謝ったんです。

『ごめんね応援行けてなくて。病気心配やし、今度お母さんと行くわ』って言ったんですが、『お前は来なくていいから、日本でずっと一生懸命音楽頑張っといてくれ』って言われた時に、1人の男として見てくれてるっていうこと、母親のことを頼まれたり、音楽頑張れって言われた時に、すっと心が楽になったんです」

慎太郎は、チャレンジし続ける、父親の姿勢に敬意を込めて、自らの言葉で感謝のメッセージを伝えている応援歌「いつかのボール」という楽曲を作った。小さい頃キャッチボールしていた時の情景を思い浮かべながら生まれた一曲だった。

11月にニューアルバムをリリースした慎太郎さん(写真:Showtitle提供)

37歳になった慎太郎は、同世代の働く人たちへのエールが詰まった『人生ゲーム』というアルバムをリリースした。

年に1回会うような同世代の友達に会った時に、いろんなモノを背負って、疲れ果てた背中を見た。そんな彼らに対して、歌で背中を押すことはできないかと考えた。

紆余曲折を乗り越えた、今だからこそ届けたい思いでもあった。

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