さて、ジョン・コルトレーン六重奏団の面々です。このとき、コルトレーンは自前のバンドを持てるような状況ではありませんでした。マイルス楽団をクビになり、何とか麻薬を断ち切って、セロニアス・モンクの楽団に雇われていたのです。30歳にして初めて自分名義の音盤をプレステッジから出したばかりでした。
サイドメンとして何度も録音に参加してきたブルーノートで初めてリーダーとして録音するのです。力が入ります。最高にぜいたくなメンバーを集めます。猛者ばかりです。
まず、ベースとドラムは、マイルス楽団の同僚であったポール・チェンバースとフィリー・ジョー。ピアノのケニー・ドリューは旧知の間がら。そして、リー・モーガンとカーティス・フラーは、ジャズ・メッセンジャーズのフロントです。この6人が集まるのは奇跡です。もちろん、このメンバーでの共演は初めてです。
そこで、日曜日の本番の前日、9月14日の土曜日に、マンハッタン50丁目のスタジオで2時間のリハーサルを行いました。コルトレーンの書き下ろした新曲は、単純なブルースではなく、ひとひねり効いています。習熟しなければ、よい演奏は望めません。
そして、翌15日の日曜日、メンバーは、ハドソン川を渡ってルディの「スタジオ」に参集します。結果は、聴いてのとおりです。
そして伝説になった
「ブルー・トレイン」は、シングル・カットされ、全米のジュークボックスで聴かれるヒットとなりました。ダウンロードはおろかステレオが普及する以前の60年以上昔の話です。
ジョン・コルトレーンは、生まれながらのスターではありませんでした。そうとうな苦労もしました。それが、この『ブルー・トレイン』によって世に出ます。そして、肝臓がんで急逝する40歳まで疾走し、ジャズを革新し続けます。強烈な印象を残す名盤を量産します。その伝説はこの『ブルー・トレイン』から始まります。ここには、神聖化される前の傷つきやすい地味で等身大のコルトレーンがいます。耳を澄ませば、そんな男のささやきが聴こえてきます。
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