日産に追放された「辣腕経営者」ゴーンの功罪 危機から復活遂げたが社内には不満も募った

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4つ目の改革が「社内コミュニケーション改革」だった。グローバル化が進展している中で国籍や言語、価値観までもが違う多様な人材と働く機会が増えているため、さまざまな社員の考えを吸い上げると同時に自分の考えを伝え、会社を一つの方向にまとめていく必要性に迫られていたからだ。

当時の日産の幹部は「ゴーンがトップになって最も変化したのが社内コミュニケーションの手法」と語った。各職場にモニターが1台ずつ配置された。社内システムと繋がり、経営計画や決算など重要な対外的な発表は、すべてこのモニターに映し出せる。

社員はゴーンの考えをライブで聞くことができるようになった。ゴーンは発表の前に必ず幹部社員を集めて、その狙いなどを説明した。会社の意思決定とそのプロセスが瞬く間に伝わるようになった。あたかも滝(カスケード)が流れ落ちるように伝わることから「カスケード・コミュニケーション」とも呼ばれた。

こうしてゴーンは日産をグローバルに戦える企業風土に変革した。これは大きな功績と言っていいだろう。

会社を私物化、驕り、そして求心力低下

一方で、「罪」の方は、会社の私物化だろう。ゴーン逮捕を受けて11月19日夜に記者会見した日産社長の西川廣人氏が指摘したように「ゴーン1人に権限が集中し過ぎていた」ことから、チェックが機能していなかった面がある。

筆者がゴーンの驕りを感じるようになったのは来日から6年ほど経った頃だった。2004年10月から2005年9月までの間に、100万台販売増という「コミットメント」達成のために通常の1年で投入するペースを上回る6つの新車を強引に市場投入し、計画を無理やり達成させた。これが尾を引き、後続車の開発が続かなくなった。目先の目標達成のために市場を「先食い」した形だ。2005年にはゴーンは日産CEOだけではなく、ルノーCEOに就き、権力の集中が始まった。

そして筆者がゴーンの求心力の低下を目の当たりにしたのが2013年11月1日だった。当時、日産が発表した2014年3月期決算の通期業績予想は営業利益が期初予想から1000億円マイナスの6000億円、当期純利益が650億円マイナスの3550億円の見通しとなった。他の自動車メーカーは円安効果などで業績を上方修正している中で、日産だけが下方修正する事態に追い込まれていた。

下方修正の大きな要因は、北米市場で商品戦略に躓き、値引きしないと売れない状態に追い込まれていたことと、新興国や電気自動車(EV)に大きな投資をしてきたが、それを回収できないことだった。新車の積極投入で事業規模は膨張しているが、それに伴う収益がついてこず、急に膨張したことで品質管理も甘くなり、大規模リコールも頻発した。

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