1日5万本売るパン屋が一等地出店しない理由 香川の製麺所をめざした「乃が美」の発想
商売が軒並み不調に陥ったころ、僕は「言い訳」ばかりしていた。「ちょっといい場所に店を作れても、もっといい場所に競合ができたらすぐ負ける」。あるいは「向こうのほうがオシャレ」「向こうのほうが広い」などなど、言い訳はいくらでもできた。その繰り返しは、もうコリゴリだった。
そして僕は、「乃が美」の1号店を、飲食店経営の常識に照らせば不便なところ、そう、三等地に出した。
「飲食店の三等地」を探し歩いた理由
パンの開発中、並行して店舗の場所探しを始めた。僕がこのパンを「人生最後の仕事」にしようと思っていたことは、場所の条件設定に大きな影響を与えた。「一発当てたろ」でも「どでかく儲けたろ」でもない、地道に一歩一歩を刻むような商売ができる街に出店したかった。そこで最も重要なのは、飲食店にとっての「三等地」であることだった。
理由は、「乃が美」の味で勝負する必要があったからだ。耳まで柔らかく、ほんのりと甘いパン。この味がどれだけ人の心をつかむかを見極めたかった。
どこまで「ほんまもん」になれるか。それを知るには、立地やカッコよさや奇抜さなどといった付随的要素で「下駄」を履かせてはいけない。そういう混ざりものは徹底的に濾過して、パンの価値だけで勝負する。
それでも選ばれ続けられるような力がなければ、この激流ともいえるような時代を生き抜くことは絶対にできない。飲食店のはかない一面は身に染みて知っている。焼き肉屋を襲ったBSE問題をはじめ、世の中には不測の事態というものが必ずある。また、飲食業界の流行の移り変わりは眼が回るほどだ。あんなに流行っていたあの店が、いつの間にか姿を消し、別の店に取って代わられる……日常の光景だ。
そうした荒波にもまれてきた私は、「乃が美」を「ほんまもんの商売」にするために何が必要か、痛いほどわかっていた。大勢の人がいる一等地に華々しくオープンしては測れない価値。この食パンにその価値があるかどうかを、確かめなくてはならない。
飲食店にとっての三等地からスタートするこだわりは、そんな覚悟の表れだった。梅田ではない、なんばでもない。大阪で商売をする人間なら誰もが意識するミナミやキタとは違う、閑静な住宅街。そういう場所を探し歩いた。
はるか昔、僕が携帯電話のショップ展開をしていたころのエピソードだ。1990年代、携帯電話は爆発的な普及期にあり、僕は知人の紹介で携帯電話ショップの経営に乗り出したのだ。またたくまに30店舗近くまでチェーンを広げ、全国を回る機会も多くなった。都会では店舗が飽和してきて、ショップ経営者の目は地方に向き始めていたのだ。
その中で、貴重な経験をした。香川県の高松駅前にショップを開く権利を得て訪れた際、現地の方が讃岐うどんのうまい店に連れていってくださったのだ。山奥の、とてつもなく不便な場所にあるが、超人気店なのだという。
たしかに遠かった。最寄り駅との距離は徒歩40分、周囲は見渡す限りの田畑と、ポツリポツリとある民家のみ。ところが店の前には、何十人もの行列ができていた。並ぶ人みんなが楽しみに自分の番を待つ、並ぶ時間さえも「これこれ!」と思えるような、そんな雰囲気の行列。
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