1日5万本売るパン屋が一等地出店しない理由 香川の製麺所をめざした「乃が美」の発想
この数年、ありがたいやら驚くやらの連続だった。その驚きは、新しい店を出すごとにますます大きくなった。1店成功するたびに、「次もいけるんちゃう?」と思う。トライすると、「めっちゃいけるやん!」という結果が出る。それがまた次の「いけるんちゃう?」になり、「いけるやん!」になり……。2018年、乃が美は全国45道府県に104店舗を構え、1日に5万本以上のパンを売る会社になっていた。
45「道府県」。怪訝に思われた方もいるだろう。そう、乃が美は全国制覇の最後の最後まで、東京に出店しなかった。全国ほとんどのエリアで手に入る「乃が美」の「生」食パンは、「東京だけが知らないパン」としても知られていたのだ。
「なんでそんなイケズ(関西弁で「意地悪」の意)すんねん」といわれれば、地元で成功して東京に打って出て、たちまち失敗するという「飲食店のよくあるパターン」にはまりたくなかったからだ。
「お年寄りから子供まで、みんなが食べられて、笑顔になれる食パン」を作ろうと心に決めたとき、僕はパンについてまったくの素人だった。
それまでの20年間は、商売人としての試行錯誤の道のりでもあった。20代から、居酒屋や焼き肉バイキング、携帯電話販売までさまざまな商売を手掛けてきた。2007年からは、大阪プロレスの会長も務めている。
さまざまな商売でさまざまな壁にぶつかった。壁を一つひとつ乗り越えたあとで、まったく新しい食パンの構想を思いついた僕は、20年間で積み重ねてきた「常識」をすべて捨てることにした。
うまくいかない言い訳から逃れるためには
世の中で、商売で、当たり前だとされていることをすべて捨てないと、僕の頭の中にあるパンも、パン屋も、作れないと思ったからだ。常識を捨てた最たる例が、立地戦略だ。
飲食チェーンを展開していたとき、僕のなかで立地は最重要項目だった。駅から近いか、メインストリート沿いか、そもそもそこは「栄えている街」なのか。
ところがこの立地主義で、さんざん失敗した。ミナミのど真ん中に店を開いて潰してしまった経験もある。大阪プロレスの選手も動員してにぎにぎしくアピールしたのに、1年も経たずに撤退した。何をしてもうまくいかなくなって焦っていた時期の、苦い思い出だ。
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