「旅するダンボール」は、心温まる記録映画だ 不要品で財布を作る異色アーティストに密着
もともと美大生時代に「財布を買うお金がないから、ダンボールで財布を作ることにした」という島津氏だが、やがてそのデザインなどに魅せられ、ダンボールを拾い集める暮らしにのめり込んだ。そんな彼を周囲は不思議な目で見ていたというが、彼自身は意に介さなかった。
たとえば、切手の収集家が一枚の切手を眺めながら、「この切手が発行されたのはどんなところなのだろう」「どんな人が使っていたのだろう」と想像をめぐらせることがあるというが、島津氏にとってのダンボールもそういう対象であったようだ。
もともと島津氏は、大手広告代理店・電通でアートディレクターとして働いていた経歴を持つ。と聞くと、バリバリに仕事をこなしていたエリートサラリーマンを想像しそうだが、映画の中で、元上司や同僚たちが話す島津像は、そうしたイメージから果てしなくかけ離れている。
就職試験の日付を間違え、「今日は試験に来ないの?」と連絡があり、ダンボール財布を手に取り、あわてて就職試験を受けに来たという話を筆頭に、ダンボールを集める変わり者といううわさはすぐに広まり、多くの人からダンボールをもらうようになったのはいいが、集まりすぎて処理場みたいになってしまった話など枚挙にいとまがない。
さらに自分の興味のある仕事には熱心だが、あまり興味のない仕事にはそれなりな、アーティスト気質だったという話や、クライアントにプレゼンに行く最中に、気になるダンボールを発見し、いても立ってもいられず拾ったはいいが、プレゼンそっちのけでその保管場所をどうしようか悩んでいたという話などを聞くと、ビジネスマンとしてはかなり変わり種だったようだ。しかし、元上司や同僚たちが彼について話す口ぶりは、どこか楽しげだ。
ダンボールのデザイナーを求めて旅立つ
ドキュメンタリーの中で、かわいらしいポテトのキャラクターが描かれた徳之島産ジャガイモのダンボールを発見する。
「デザイナーは歳を重ねた人だろうか」「イラストを描いたのは女性だろうか」――。島津氏の想像は広がっていく。そして実際にこのダンボールにかかわった人に会いに行こうと決意する。誰もが見向きもしないダンボールの源流をたどっていく旅を通じて、そのデザインに込められた思い、そこのダンボールにかかわっていた人たちの暮らしぶり、生きざまが浮かびあがっていく。
そもそもダンボールというものは流通に使用するためのものであり、決して大勢の人たちに注目されるような派手な商品というわけではないが、それでもそこにかかわった人たちは誇りを持って製品を作っている。だからこそ、彼の訪問は彼らを驚かせるが、しかし島津氏と関係者がダンボールを通じて心を通わせるさまは感動的である。
そんな旅に密着した本キュメンタリーについて島津氏は「ダンボールと向き合ってきた8年間を詰め込んだ、Cartonの今までの活動の集大成とも言える映画であり、『ダンボール』という単なる素材という枠を超えた、心温まる物語が詰まっています」とコメントしている。
そして、「ダンボールアートの活動を通じて、どんなものにだって、愛すべきものになる可能性があることを、そしてその可能性が生まれると、生活をちょっと面白くさせることを知ってもらえたらと思います」と訴えかける。
その言葉通り、穏やかに、笑顔でスクリーンに向かうことができる。ドキュメンタリー映画といえば、社会派の骨太な作品が多いが、この作品は、ほっこりとした内容で、それがまた魅力といえるだろう。
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