「自分に才能がない」と嘆く人の残念な勘違い 人は「結果」に合わせて事実を「物語」にする
わかりやすい例を挙げましょう。
ノーベル賞を受賞すると、必ずニュースになりますよね。すると、たとえば、受賞者の奥様にインタビューして、彼女にとってどういう夫なのか尋ねたり、受賞者の出身地へ行って、彼がどんな子どもだったかを聞いて回ったりします。
……といった具合に、ノーベル賞を受賞するような人は、普段から普通とは違う、子どもの頃から思考も発想もほかの人とは全然違っていた、というような内容のコメントが次々出てきます。
結果次第でその人の評価は真逆になる
ここで、少し皮肉な見方をしてみます。同じ人が、実は「罪を犯した人」だったらどうでしょう?
……どうですか?
ノーベル賞を獲った人と、罪を犯した人。同じ性格の同じ過去を持った人だったとしても、結果次第でここまで見方が変わってしまう。"真逆の認知"をされてしまう。
このように人々は、「結果」からさかのぼって「物語」を作ろうとするものなのです。
結果を見て、それまでの認知が変わってしまい、新しい物語が出来上がる。このときのキーファクターとなるもの、大きなウェートを占めているものが、まさに「才能」なのです。
僕は2013年に『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』を出版しています。タイトルのとおりのいきさつをまとめたものですが、この本がベストセラーになると、主人公のさやかちゃんについて「彼女はもともと才能があったんでしょ?」と多くの人から言われました。
どうやら人は"才能の有無"を、安易に断定したがるようです。でも、「才能」は生まれつきのものなのでしょうか? 一部の人にしか備わっていない、特別なモノなのでしょうか?
それに対する、僕の答えは「ノー」です。
才能は、誰にでもある。僕はいつもそう言っています。
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