「自分に才能がない」と嘆く人の残念な勘違い

人は「結果」に合わせて事実を「物語」にする

わかりやすい例を挙げましょう。

ノーベル賞を受賞すると、必ずニュースになりますよね。すると、たとえば、受賞者の奥様にインタビューして、彼女にとってどういう夫なのか尋ねたり、受賞者の出身地へ行って、彼がどんな子どもだったかを聞いて回ったりします。

a「研究者としては一流かもしれないけど、家では何もしない人です」
b「あまり群れないタイプで、昔から一匹狼みたいな感じです」
c「みんなが右へ行くときでも、自分は左だと思ったら左へ行くような人」
d「何を言われても気にしない、"自分"を強く持っている人です」
e「子どものときから発想がほかの人とは違ったところがあって、ユニークでした」

……といった具合に、ノーベル賞を受賞するような人は、普段から普通とは違う、子どもの頃から思考も発想もほかの人とは全然違っていた、というような内容のコメントが次々出てきます。

結果次第でその人の評価は真逆になる

ここで、少し皮肉な見方をしてみます。同じ人が、実は「罪を犯した人」だったらどうでしょう?

a′「家のことはすべて妻に任せっきりで、外へ出掛けてばかりいた」
b′「どのグループにも属さず、まったく協調性がなかった」
c′「こうと決めたらテコでも動かない人で、絶対に従わなかった」
d′「ルールは全然守らなかったし、人の話なんかまったく意に介さなかった」
e′「いつも一人だけ違う考え方で、わがままを言って和を乱し、大変だった」

……どうですか?

ノーベル賞を獲った人と、罪を犯した人。同じ性格の同じ過去を持った人だったとしても、結果次第でここまで見方が変わってしまう。"真逆の認知"をされてしまう。

このように人々は、「結果」からさかのぼって「物語」を作ろうとするものなのです。

結果を見て、それまでの認知が変わってしまい、新しい物語が出来上がる。このときのキーファクターとなるもの、大きなウェートを占めているものが、まさに「才能」なのです。

『才能の正体』(幻冬舎)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

僕は2013年に『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』を出版しています。タイトルのとおりのいきさつをまとめたものですが、この本がベストセラーになると、主人公のさやかちゃんについて「彼女はもともと才能があったんでしょ?」と多くの人から言われました。

どうやら人は"才能の有無"を、安易に断定したがるようです。でも、「才能」は生まれつきのものなのでしょうか? 一部の人にしか備わっていない、特別なモノなのでしょうか?

それに対する、僕の答えは「ノー」です。

才能は、誰にでもある。僕はいつもそう言っています。

関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事
  • 「非会社員」の知られざる稼ぎ方
  • 就職四季報プラスワン
  • 山本シンヤが迫るクルマ開発者の本音
  • 中学受験のリアル
トレンドライブラリーAD
  • コメント
  • facebook
0/400

コメント投稿に関する規則(ガイドライン)を遵守し、内容に責任をもってご投稿ください。

アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
トレンドウォッチAD
衰退か再興か<br>アトキンソンと考える<br>日本の生存戦略

急激な人口減少と高齢化の先に待ち受ける地盤沈下を避け「日本再興」を進めるには、従来の常識にとらわれず新しい発想で問題に取り組むことが必要だ。最低賃金の引き上げを含む3つの生産性向上策を軸に、日本が生き残る道を探った。