「自分に才能がない」と嘆く人の残念な勘違い 人は「結果」に合わせて事実を「物語」にする
拙著『才能の正体』でも詳しく解説していますが、いわゆる「才能がある」と言われている人たちには共通点があります。
彼ら、彼女たちはみんな努力をしていることです。
多くの人は、"あまり努力をしなくてもできちゃう人"のことを「才能がある」と言いがちではないでしょうか。
でも、その考え方が根本的に間違っていることに、僕は気づいたのです。
人間というのは他の動物に比べて本質的にもともと頭がよくて、脳の構造から見てもとても優秀です。つまりすべての人が、優秀と言われる可能性をもともと持っているのです。
だとしたら、いったいどこで差がつくのでしょうか。
「才能がある」と言われている人たちの「正しいやり方」
たくさんの子どもたちを見てきて言えるのは、勉強のやり方が間違っていたり、うまく継続できなかったり、動機づけができなくて意欲が湧かなかったり……など、いろいろな理由で、上達していかないことがあるんだということです。
いきなり本質的なことを言いますが、自分に合っていない、ふさわしくない場所でいくら頑張っても、物事は身に付きません。
「才能がある」と言われている人たちは、"その人に合った"動機づけがまずあって、そこから"正しいやり方"を選んで、"コツコツと努力"を積み重ねている。
そしてきっちりと結果を出して、そのときに初めて「才能がある」という状態になる。正確に言えば、「才能がある」と言われるようになる。
周りの人たちは、その人が"努力してきた部分"をすっ飛ばし、目に見えている結果だけを見て「だって地アタマがいい人だからでしょ?」「才能のない自分にはできるはずがない」「才能は生まれつきだから」と頭ごなしに決めつけてしまいます。
しかし、それは間違いです。
「氷山の一角」という言葉がありますが、水面よりも上に出ている部分は、全体の約1割だと言われています。その下の9割に、血のにじむような努力があってこそ、氷は浮いていられるのです。
名門の中高一貫校に合格した、早稲田大学に受かった、東京大学に受かった、医学部に受かった、ハーバード大学へ留学した、弁護士になった、本を書いてミリオンセラーを出した、すごい発明をして世界を変えた、起業して株式公開をして大金持ちになった、ノーベル賞を受賞した……などなど、いずれも"結果だけ"を見て、この人は「地アタマがいい」「才能がある」と言っているのです。
こう説明すると、皆さん、ハッとするようです。
世間では、どんな人であっても、結果が出たら「元がいい」「地アタマがいい」と言われ、結果が出なければ「もともと才能がない」と言われるのです。受験までに驚くほど偏差値が上がっていたとしても、です。
人は結果しか見てくれない、結果からしか判断しない、ということなのです。
このように多くの場合、「結果」が才能の有無の判断基準になります。これはつまり、結果によって、過去の解釈もすべて変わってしまう、ということでもあります。 面白いことに、「いい結果」が出ると、その人の過去にやっていたことが、"すべて"ポジティブな見方でとらえられるようになってしまいます。
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