ところが、異変が訪れる。自家用車でお店に来てくれるお客さんが激減してしまったのだ。理由は2つ。路上駐車と飲酒運転の取り締まり強化だった。
当時の環七は路上駐車が当たり前だったが、あまりにもそれが増え、近隣住民などによる警察への通報で10分に1回はパトカーがやってくる状態に。その110番は1日50回以上にも上ったという。その後半年間パトカーがお店の前に常駐するようになってしまった。
飲酒運転の取り締まりも厳しくなっていき、客足も遠のき始める。その後、ラーメンを食べに来る人が環七を横断して事故が起こるなどし、さすがに限界かと思われた。売り上げはどんどん落ちていった。
駐車場を確保し、売り上げを多少戻したものの、時代の波には勝てず、移転を決意。渋谷の物件を探し、移転を決め、2012年11月5日に本店を閉店。閉店の告知が10日前だったので、大変な騒ぎとなった。しかも、その渋谷への移転も幻となってしまったのだ。
最終日にラーメンを食べにやってきた移転先の渋谷の大家が、「このスープのニオイでは困る」と言われ、移転を断念せざるをえない状態となった。こうして「なんでんかんでん 東京本店」は移転ではなく、閉店になってしまった。
本店を閉店する前から、FC(フランチャイズチェーン)の展開をスタートしていたがそれもうまくいかなかった。「なんでんかんでん」をやりたいと手を挙げた人がたくさん現れ、山口、土浦、新宿、三重、海老名、名古屋2店舗、群馬、新潟などたくさんのお店ができたが、なかなか軌道に乗らず。2015年にすべてを閉店し、「なんでんかんでん」の歴史にピリオドが打たれた。
それから3年、川原氏は何をしていたのか。
実は川原氏は閉店後もスープの研究をしていた。お店のプロデュースやコンサルティングにかかわっていたのだ。それからラーメン作りに加えて、「接客」の大切さを伝えていた。「なんでんかんでん」が味はブレても繁盛したのは、7割は接客で稼いでいたからだという。
高円寺でお店を復活させるという構想が持ち上がったのは今年に入ってから。スープ工場を作って店舗展開をしやすい土壌ができていた川原氏は復活を決意。「タイ屋台居酒屋 ダオタイ」など8店舗を展開する株式会社DAOが協力、復活第1号のFC加盟店となり、「高円寺復活店」としてオープンさせた。
「濃いスープを安定して出せなかった反省を生かして、開業時の味に戻そうと試行錯誤しました」と川原氏。時代を感じさせないおいしい濃厚豚骨ラーメンを提供している。
「いい店」を作るには「いい人」が必要だ
これからの展開について川原氏はこう語る。
「FCをやりたいという希望者はたくさんいます。ですが昔に比べて競争も激しいし話題にもなりにくいのは事実。こぢんまりしたお店ならまだ可能性はありますが、手広く展開していく予定はありません。
味だけで成功する時代は終わりました。足元を見つめ直して、当たり前のことに立ち返っています。“いい店”を作るには“いい人”が必要。ラーメン作りはもとより、人が大事です」(川原氏)
昔のように1つのお店で大繁盛できる時代は終わったかもしれない。それでもファンのためにも、自分のためにも。川原ひろし氏が再びラーメン界に帰ってきた。
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