「なんでんかんでん」復活の知られざる舞台裏 完全閉店から3年、川原ひろしが帰ってきた

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今度は店名だ。知人のデザイナーに店名について相談したところ、「店の名前なんて、なんでんかんでんよかろうもん(なんでもいいじゃない)」という返事が返ってきた。「なんでんかんでん」とは九州の方言で「なんでもかんでも」という意味。川原氏はこの言葉の響きにピンとくる。「ん」という文字は言霊でお客様をとどまらせるという意味もある。そのまま「なんでんかんでん」を店名にし、このデザイナーにロゴの制作を依頼する。

そして開店準備に入った。レシピは実家で作っていたのであとはお店でその味を再現すればいいわけだが、ここで問題が発生する。

東京の問屋に豚頭を注文すると、何と豚の頭そのままの形のものが届いたのだ。豚頭の「ガラ」がなかったのである。ガラを持っている問屋を何とか探し出し、譲ってもらう。もともと捨てている部分だったということもあり、1つ10円という破格で売ってもらう。

環七ラーメン戦争の中心的なお店へと一気に成長

1987年7月8日のオープン当日。とにかく目立ってお店を話題にしたかった。オープン当日は全品半額にすると宣言、開店前から100人以上の人が並ぶ。さあ開店しようとその日のスープをチェックすると一気に顔が青ざめた。これはお客さんには出せない。スープの出来が悪くてこの日はオープンできず、行列するお客さんに平謝りした。今では笑い話だ。

こうして「なんでんかんでん」はオープンした。ただ、開業当初の2年は赤字に苦しんだ。家族からも「やめろやめろ」と言われ、あっという間に瀬戸際に立たされていた。

一方で、少ないもののお客は毎回同じ人が来ていた。リピーターが多かったのである。そのうち2~3人の行列ができる日も出てきた。それを聞きつけた雑誌『フロムエー』が行列のできるお店特集ということで取材に来た。それがすごい反響となった。

人気はヒートアップ(写真提供:なんでんかんでん高円寺復活店)

なんでんかんでんの豚骨ラーメンは食べてもらえば、クセになってもらえる自信があった。とにかく人に来てもらうためには取材してもらうしかない。そう考えた川原氏は雑誌を30~40冊買いあさり、片っ端から編集部に電話をしてFAX番号を聞き、リリースにクーポン券を付けて送った。

すると取材が殺到。当時は雑誌の影響力は高く、その後テレビ取材も殺到。人気は一気に加速した。1日20万円だった売り上げが120万円になった。13坪で夜のみ営業のお店としては破格である。とにかく人が人を呼ぶ状態。環七ラーメン戦争の中心的なお店へと一気に成長した。

「なんでんかんでん」人気はヒートアップし、その勢いはまったく止まらなくなった。川原氏はメディアに引っ張りだことなった。「¥マネーの虎」にレギュラー出演。ラーメン界だけでなくお茶の間にも有名な存在となった。

最高の売り上げ杯数は1日1200杯。500杯がまともなスープの限界だったが、それでもお客さんは食べたいと聞かず、スープが薄くなってしまったときは無料で提供していた。

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