民主党政権「影の総理」、仙谷由人氏の功罪 享年72、親分肌の政治家だった
「あえてヒール役をかって出た人だった」
仙谷氏の死去が報じられた16日夜、玉木氏は筆者にこう語って故人をしのんだ。
「たとえば物議をかもした『自衛隊は暴力装置』発言だが、『暴力装置』はよく知られた政治学用語でそれを使っただけなのに、あたかも仙谷さんが『自衛隊は暴力組織だ』と言ったように誤解された。しかし実際の仙谷さんは法律の知識ばかりではなく、歴史や哲学などにも通じ、最高レベルの知性と深い情を持ち合わせた人だった。先月会った時も話題は人工知能などに及び、これからの日本がどうなっていくのか、高い関心を寄せておられた」
「仙谷先生、早すぎます」
実は仙谷氏を慕う人は数多い。ある元民進党関係者は目を赤くしながらこのように述べている。
「仙谷さんはいまの政界にはなかなかいない親分肌の政治家だった。特に有能な若手を抜擢して活躍の場を与えていた。参議院議員だった松井孝治慶應大学教授など、その例だ」
その松井氏は16日に訃報を聞き、「仙谷先生、早すぎます。いくらなんでも、早すぎます。せめてもう一回お話ししたかった」とツイッターで慟哭した。松井氏は参議院議員時代に民主党の政策シンクタンクである「公共政策プラットフォーム」の立ち上げに尽力したが、その中心となり代表理事を務めたのが仙谷氏だった。松井氏の能力を買い、「300日改革プラン」を描かせたのも仙谷氏だ。
その党内きっての政治手腕を頼りにすべく、「仙谷政権」を目指す動きもあった。松井氏ら当時の若手議員数名は党内で最有力者だった小沢一郎氏が定宿としていた八重洲富士屋ホテルにその案を持参したが、小沢氏は最後まで首を縦に振らなかったという。旧社会党出身ながらリアリストの仙谷氏と、自民党出身ながら左派勢力と通じるところが多い小沢氏では、その考えは近いように見えて完全にすれ違っていたということだろう。
それにしても仙谷氏ほど毀誉褒貶(きよほうへん)が激しい政治家は少ない。党内若手政治家には評価が高い一方で、国民の目には理解しがたい政治家として映ったこともある。たとえば2010年9月7日に尖閣諸島近海で勃発した中国籍のトロール漁船と海上保安庁との衝突事件だ。海上保安庁は船長を逮捕し、公務執行妨害罪で那覇地検石垣支部に送検した。
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