田原総一朗「メディアに中立なんていらない」 「中立を掲げることは一種の逃げだ」

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——メディアには中立公平、不偏不党が求められると言われますが。

中立なんかないし、くだらないものと思っている。一種の逃げだよ。特定秘密保護法、集団的自衛権、共謀罪が国会で成立する前後に、僕は反対する7、8人で抗議声明を出した。そのときに新聞やテレビも一緒に出そうと声を掛けたけど、マスコミは中立不偏だといって参加しなかった。

メディアに公平・中立などありえない。僕がテレビ東京でディレクターをしてきたときに、学生運動のなかで全共闘・全学連と機動隊が対立した。そのときカメラはどちらから撮るか。全共闘の後ろから撮ればヘルメットをかぶった機動隊が、厳重な装備でガス弾を投げつけてくる権力の暴力装置に見える。

中立とはどこを指すのか、非常に難しい

ところが機動隊の後ろから撮ると、ヘルメットをかぶった学生が覆面でゲバ棒をもって、石を投げてくる過激な暴力主義に見える。そこでメディアが中立に立つというのは、どこに立つことを言うのか。

中立を掲げることは「一種の逃げ」と看破(撮影:尾形文繁)

三里塚闘争のときもそう。初めのころ、メディアは土地を接収された農民の側から取材していた。空港設置反対の世論がとても強かった。でも次第に、機動隊の力が強くなって、農民の側にいると取材する身に危険が及ぶ。実際に何人ものけが人が出た。だから機動隊の側から撮るようになる。

すると、農民と思われた人たちは皆武装していて、バックには過激な暴力集団の中核派がついている。彼らはグルだという流れになり、だんだん世論も成田空港賛成派が多くなっていった。中立とはどこを指すのか、非常に難しい問題だよ。

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