「サリン」「VXガス」製造の知られざる舞台裏 オウム事件「教祖の寵愛」「上司との確執」
そのころ、麻原教祖は「生物兵器」に関心があり腹心の遠藤元死刑囚にその製造を指示していた。しかしことごとく失敗。教団は化学兵器にシフトし村井氏が「土谷がいいだろう」と提案、土谷元死刑囚が化学兵器の製造に取り掛かり次々と成功させる。
遠藤元死刑囚は獣医学とウィルスが専門、土谷元死刑囚は化学と、専門も違う。遠藤元死刑囚は化学の知識がなく、成果を出せない遠藤元死刑囚はことあるごとに土谷元死刑囚に干渉してきたという。土谷元死刑囚は語る。
嫉妬、蹴落とし合い…オウムとは何か
取り調べを行った元警視庁捜査一課理事官の大峯氏によると土谷元死刑囚は遠藤元死刑囚の話となると、次から次へとしゃべるようになったという。土谷元死刑囚は遠藤元死刑囚を有能な自分を使って手柄を奪う嫌な上司とみていた。さらに麻原教祖の寵愛を受ける自分を遠藤元死刑囚が嫉妬しているともみていたようだし、ことごとく失敗している遠藤元死刑囚が麻原教祖から大切にされていることも気に入らなかったようだ。
この構図は私たちの社会でもよく見られるものかもしれない。教祖の寵愛を求めて張り合う2人の信者。しかしそうした寵愛を求める思いから毒ガス兵器は生まれたのだった。
そして教団は1995年3月20日、未曾有のテロ事件、地下鉄サリン事件を起こす。その舞台裏では土谷元死刑囚と遠藤元死刑囚の確執が起きていた。オウム真理教とは何だったのか。そこには私たちの住む世界と変わらない、嫉妬やねたみ、感情にまみれた小さな社会があったのではないだろうか。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら