「サリン」「VXガス」製造の知られざる舞台裏 オウム事件「教祖の寵愛」「上司との確執」

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村井「効かなかったがどうしてだと思う?」
土谷「急場しのぎで塩酸塩だったもので……」
村井「VXそのものを作ってくれ」

そして土谷元死刑囚はVXを新たに200グラム合成し、200グラム合成し、中川智正元死刑囚に渡した。するとその後、VXは1994年12月12日、会社員VX殺害事件で使われた。教団から公安のスパイと決めつけられた男性が殺害されたのだ。世界初のVXガスによる殺人事件だった。村井氏はさらにこんなことまで要求してきたという。

村井「VXをもっと有効に使える方法はないかな……VXは相手に接近しないといけない。人の体内に入ったら、触れたらとけるようなものを作ってほしい。弾丸のようなものだ。私がハード面をやるから君はソフト面をやってくれ」
土谷「VXの弾丸ですね。人体に向けて発射させる」

土谷元死刑囚はこの頃はもはや化学兵器製造マシーンと化していた。毒ガス兵器を作り続けることに「何の躊躇もありませんでした」と話している。「教団は米軍、フリーメーソン、公安から狙われていた。攻撃も受けていた。危機感を持っていました。武装化を急がねばと思っていました」と淡々と語っている。

教祖の寵愛をめぐり…上司・遠藤誠一元死刑囚との確執

土谷元死刑囚は出家後、位は高くなかったが麻原教祖と直接会うことができたし、お好み焼きをごちそうしてもらうなど特別な待遇を受けていた。土谷元死刑囚は麻原教祖にいかに寵愛されていたかを話す。

「初めて尊師と口をきいたときの話をします。1992年7月6日、第二サティアン3階で私は極限修行中でした。その際、尊師に呼ばれました。その時私は修行が極限状態にあり、その時の状態を尊師が『君はこのままの状態じゃ結果は出ないよ。だからワーク(化学活動)に戻りなさい』と初めて言われました。さらに尊師は『何かあったら私のところに直接来ればいい』とも言われました。それ以降私はだれの許可も取らずに尊師と直で会いました。
尊師のおられる第6サティアン1Fか第2サティアン3Fへ会いに行っています。修行で行き詰まったりとかすると尊師によく会いに行きました。尊師に会うことは許可がなくては一般のサマナは自由にできません。正悟師以上のステージの人は尊師に会うことはできます。自分はサマナというステージで尊師に直接自由に会うことができるということは尊師から過去世からの縁が濃いといわれていたからです」
次ページ遠藤元死刑囚にも生物兵器の製造を指示していた
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