津田沼駅前「BOOKS昭和堂」、閉店までの舞台裏 ミリオンセラーを生んだ書店員の葛藤とは?
村山氏は、大学時代のアルバイトからBOOKS昭和堂に勤めてきた。6歳年上の木下氏とは長く上司と部下の関係にあり、書店員の仕事を教えてもらった人だという。すでに退職した木下氏のことを、いまも対外的には「木下」、顔を合わせたときには「店長」と呼んでしまう。
「『白い犬とワルツを』が売れはじめた2001年頃は、私が文庫売場の担当でした。POPを立てて、それが売れるようになった段階までは、木下も楽しんでいたと思います。ただ、その後の急激な売れ方、メディアによる『白い犬とワルツを』や木下の取りあげ方は、たしかに異常ではありましたね」
出版社が刊行した本を書店が仕入れて売る、いわゆる新刊書の市場は、統計上は1996年をピークに右肩下がりとなっており、出版業界は打開策を求めていた。『白い犬とワルツを』のヒットをきっかけとした「現場で本を売っている書店員こそが市場回復のキーマン」というストーリーは、多くの人に伝わりやすいものだった。なお、全国の書店員の投票で決める「本屋大賞」が誕生するのは、2004年のことである。当時、出版業界の専門紙で記者をしていた僕も、こうした現象を積極的に記事にした。
「書店員推薦」に警鐘を鳴らした
だが、”カリスマ書店員”として寄稿やコメントを求められるようになった当の木下氏は、一貫してそうした風潮を否定する主張を続けた。
〈読者が自分ひとりかもしれないという本にこそPOPを書く〉
〈新しさや部数の大きさでしかものを測れない人を軽蔑してください〉
〈「手書きPOPからベストセラー」は矛盾です〉
これは当時、ある媒体で木下氏が同業の書店員に向けて書いた文からの抜粋である。
出版社が推薦を頼んできても受けてはいけない、受けてしまった場合は駄作なら駄作とはっきり言おう……。『白い犬とワルツを』をきっかけに”書店員推薦”を宣伝に利用するようになった出版業界に、木下氏は警鐘を鳴らした。
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