007の映画から考えた「人間対AI」問題の本質 教師の仕事は人工知能に奪われてしまうのか
このことは教育の判断にもそのまま当てはまる。
子どもは多様である。年齢によって、育てられた環境によって、その子どもの性格によって、その子どもの興味や知識の状態は大きく異なる。そのような中で、一人ひとりの子どもについて、どのような教育プログラムが最善なのかを判断できるのは、AIなのか、教師なのか。
AIはある指導方法が60%の子どもに有効であることは教えてくれる。しかし、保護者の知りたいのは、そこではなく、自分の子どもにとって最善なのが、どの方法であるかだ。
AIは個々の子どものプロフィールも分析し、提供することができるかもしれない。事前に用意された教育方法A・B・Cの中から、個別の子どものプロフィールにあった方法を選び、提案することもしてくれるかもしれない。
しかし、それはあくまでも、プレフィックスされた分析の観点と指導方法の中からの選択である。ほんとうの意味で個々の子どもに適した創造的な教育方法をAIが提案することはない。さまざまな知識を統合し、新たな知識を創りだすことはAIの得意とするところではないのである。
逆に言えば、データを見つつもデータに縛られず、目の前の子どもの知識の状態や気持ち、躓きなどを見抜き、その子どもに最適な助言や指導ができる教師—つまり達人教師—がこれからの時代にAI以上の価値を持つことになるのである。
「達人教師」になるために必要なマインドセット
認知科学の重要な研究分野に「熟達」がある。人があることに熟達していく上での認知の過程を明らかにしようという分野で、各分野での超一流の達人のマインドセットや、情報処理や知識のありかたの特徴を明らかにすることを目的としている。
スポーツ、芸術、将棋、囲碁、チェスなどのボードゲーム、医療、経営、研究などあらゆる分野で、熟達するスキル自体は異なるものの、達人には共通の特徴がある。
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