岡本:谷口さんのお書きになる外交スピーチは、日本にはこれまでまったく存在していなかったグローバルスタンダードのものですが、そのレベルのスピーチをこなすには、淡々と「読み上げる」のではなく、「演じる」必要があります。安倍首相がこうしたスタイルのスピーチをあえてする理由とはどういうものでしょうか。
谷口:安倍首相は「目的に対して合理的」なのだと思います。スピーチの目的とは、聴衆に強い感興を惹起することです。その目的に対して合理的だとなると、安倍首相は進んでいろいろやります。アメリカ連邦議会でのスピーチでは、硫黄島で戦った元米海兵隊員と、栗林忠道大将の孫(新藤義孝氏)とに傍聴席にいてもらい、総理が2人に呼びかけたこともありました。
英語で読む場合の練習量の膨大さも、それで説明がつきます。「自分を目立たせたい」とか、「自分の英語力がこれだけあると自慢したい」とか、売り出し中のアイドルじゃあるまいし、そんな気持ちはありません。練習すればした分、相手に伝わる、聴衆を動かせると思ってのことです。そう思う限りにおいて、誰の前だろうと照れることなく、練習することも厭わないということです。
まっすぐ矢を打ち込むようなもの
岡本:日本では、外交スピーチは形だけ、儀礼的なもので、重要性はないという考えもあるように感じますが。
谷口:首相が相手国の議事堂でスピーチしたとしても、ホンダやトヨタのクルマがにわかに売れ出すわけではありません。でもスピーチには独特の意味があるんですね。
アメリカならアメリカには、いちばん外周円に、ごく普通のさまざまな市民がいて、日常の喜怒哀楽に生きている。特段、日本に関心など払わないという人々です。ひとつ中の円には学者や評論家、言論人がいて、世論の作り手になっています。いちばん真ん中の円とはホワイトハウスであり国務省や国防総省、あるいは連邦議会です。そんなふうな同心円だと思ってください。
スピーチというのは、無数の一般大衆にこそ届かないが、このど真ん中の円に向かって、まっすぐ矢を打ち込むようなものです。音を立てて飛んでいくわけですから、「鏑矢(かぶらや)」でしょうか、その矢は。
日本という国がどんな旗を立てているのか。またその旗をどんなふうに翻しているのか。直接的には相手国のど真ん中に向けてそれを言うわけですが、耳を聳(そばだ)たせている聴衆は、北京にもモスクワ、ロンドン、デリーにもいますから、そういう人々に向け、日本が奉じる主義主張、たとえば民主主義について、日本は風雪に耐え、風格も具備するようになった国なんだと、言わないといけない。
そんなこと、テレビCMを何千万円か出して打ったところで、さっきの同心円の構造の中、果てしなく外延に向け希釈化していくだけで無意味です。プロパガンダだと思われるのが落ちですし。ここは、指導者が、おのれの人格的インテグリティ(統一)に賭けて、ど真ん中に向け言うのがいい。効果的だし、安上がりでもある。
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