三陸鉄道に移管「JR山田線」復旧工事は順調か

宮古―釜石間には実質的な新線建設区間も

中心市街を外れた住宅地にたたずむ磯鶏駅。切妻屋根の小さな待合室は新築のように蘇り、傷んだホームを修復中だった。待合室の壁には「東日本大震災津波浸水深ここまで」と記したプレートが貼られている。およそ120cmの高さであったようだ。留め置かれたバックホーの傍らに、交換した古レールが積み上げられていた。

三陸鉄道として再開する際、宮古市により2カ所の新駅開設が予定される。1カ所は磯鶏―津軽石間で内陸の新興住宅地であり、震災後の新築も多い八木沢地区。岩手県立大学宮古短大が近いので駅名は「八木沢・宮古短大」となる。新しいホームはどこかと探したが、訪問時点では取り付け道路すら、まだ影も形もなかった。

宮古湾の最奥部へと下ると巨大な防潮堤が現れ、津軽石に出る。キハ100形2両が押し流された駅だが、木造駅舎は残り、ホームの修復と線路へのバラスト散布の最中だった。その真上で新設の道路陸橋も工事終盤だった。

重茂半島の基部へ津軽石川を遡ると、山田町との境付近に開けた一帯があり、やはり震災後の移住が多い。そこにいま1つの新駅、「払川」駅が設置される。

高台から見下ろすと一帯はすべてかさ上げした造成地(撮影:久保田 敦)

山田町に入り豊間根。新築住宅の傍らに箱型の待合室を見つけて向かうと、ホームは修復と言うよりも、ほぼ新設の最中。これから交換するPC枕木も数多く積まれていた一方、行き違いが可能だった往時の対向ホームには夏草が茂り、そこに色褪せた駅名標が残っている。

峠越えをして下ると、山田湾に面した陸中山田に出る。山田線の名の由来の地である。湾には牡蠣の養殖筏が無数に浮かび、とても穏やかな光景だったが、低地の駅付近に向かうと町全体が土色の造成地だった。山田は津波が襲った直後に火の手が上がり、押し流された自動車が瓦礫の中で次々に爆発し、中心市街地が焼き尽くされた。7年の間に、高さ約10mの新しい防潮堤建設と地区全体の嵩上げが行われ、駅付近も約3m上がっている。

真新しい線路、ホーム、跨線橋、駅前ロータリーに面して中層住宅や仮設商店街も建ち並ぶ。だが、オランダの風車を模して山田町が建てると発表された駅舎はまだなく、「ふれあいセンター」の隣で基礎を打っていた。

高台移転の駅やラグビーW杯を待つ駅

湾岸から再び急勾配で上がった場所に新しい織笠駅が設けられた。そこから織笠トンネルに入って下り、織笠川を渡った地点が以前の織笠駅だった。だが、橋脚すら倒壊する津波で地区もすべて流され、以後は災害危険区域に指定され家が建てられない地区となったので、ちょうど1km山田寄りの高台の新興住宅地に駅を移したのだ。一方、トンネルの先へと向かって見ると、流路を変更して巨大な水門と防潮堤(こちらは約13m)を建設する一面の工事現場だった。鉄橋を渡ってカーブする山田線はまさに新線で、旧駅は名残すらうかがえない。

上下線間にホームと上家を置いただけの大槌駅(撮影:久保田 敦)

沿岸はまさしくリアス式で、海沿いに出た線路はまた急勾配を上って内陸に入る。山田湾と船越湾の間わずか1km少々の高台に岩手船越駅がある。この駅は豊間根、両石とともに津波被害を免れた。だからバラストが往時のままで褐色だ。だが、古いホームは表面をいったん削って崩し、新しいホームに作り替えている。三陸鉄道36-700形に合わせたホーム扛上(こうじょう)工事でもある。切妻屋根の待合室が作業員詰所になっていた。駅前の商店は昭和の風情だが、周辺にはやはり新しい住宅が混ざる。

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