鉄道の「レールの幅」会社や路線でなぜ違う? 1つの会社で複数のレール幅がある場合も
一方で私設鉄道法は制限の厳しい法律であり、それにのっとって鉄道会社を経営しようとすると、面倒なことも多かった。さらに全国の17社が一気に国有化されたこともあり、民間による鉄道建設への熱が冷めていった。
そこで国は自由度を高めて民間による地方の鉄道整備を進めるべく、1910年に「軽便鉄道法」を施行した。この法律は軌間を1067mmに限定しておらず、より低コストで建設できる軌間の狭い鉄道も造られるようになり、地方には軌間が762mmの鉄道も数多く造られた。これらの路線はかつて「軽便鉄道」と呼ばれた。いまなおこの軌間で残っている路線として、三重県の四日市あすなろう鉄道や三岐鉄道北勢線がある。
このように、民間による鉄道整備を推進する法律がつくられるなかで、別の方法で開業する私鉄も出てきた。1905年に開業した阪神電気鉄道は、国鉄と並行する区間であることから私設鉄道法では建設が認められず、代わりに道路上を走る路面電車のための法律である「軌道条例」に基づいて開業。だが、実際に路面を走るのは一部で、実質的には一般の鉄道と大差なかった。
この方式に追随する鉄道会社も多く出た。軌道のための法律は当初「軌道条例」、のちに「軌道法」となったが、この法律では軌間が限定されておらず、レールの幅を広くすることが多かった。それゆえに現在のJRとの軌間の違いが生まれた。軌間が1435mmの関西の大手私鉄はほとんどこの方法で開業している。関東でも軌間の広い京急、京成、京王は軌道として開業した。大阪市営地下鉄も、軌道法に準拠してつくられた。
軌道として開業した鉄道は、当初の社名に「軌道」が入っていた例が多い。のちには、軌道かどうかあいまいな「電鉄」(電気鉄道の略)という言葉も使われるようになった。
在来線の軌間を変える動きも
こうして日本国内の鉄道にはさまざまな軌間が採用されるようになったが、国鉄の標準となっている1067mmを変更しようという動きもあった。大正期の大隈重信内閣、その後の寺内正毅内閣では鉄道院(国鉄)各線の1435mmへの改軌を考えていた。軌間が広いほうが輸送力が高いと考えられたためだが、これは実現しなかった。
しかし、昭和に入り日中戦争がはじまると、東海道・山陽本線の輸送が逼迫し、新たに高速・大量輸送のできる鉄道を造ろうという計画が生まれた。「弾丸列車計画」である。これは1435mmの軌間で建設されることに決定したが、その後の戦況の悪化で中断。そして1964年、ついに国鉄に1435mm軌間の鉄道が開業した。これが東海道新幹線だ。
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