伊豆箱根鉄道の2路線が「まるで違う」理由

大雄山線と駿豆線、車両も経営戦略も大違い

駿豆線の西武鉄道からの譲渡車1300系。駿豆線は今年、開業120周年をむかえた(提供:伊豆箱根鉄道)

伊豆箱根鉄道は、駿豆線(三島―修善寺間、19.8km)と大雄山線(小田原―大雄山間、9.6km)という鉄道2路線を抱える。駿豆線は静岡県内、大雄山線は神奈川県内で路線が完結し、走る車両も駿豆線は20m車であるのに対し、大雄山線は18m車が走っている。さらに交通系ICカードも駿豆線は未導入、大雄山線は2007年にPASMOを導入済みといったことから、両路線については「まるで別の会社の路線みたいだ」という声がきかれる。

別会社としてスタート

まず、駿豆線・大雄山線が別の県を走るのには、「別の会社としてスタートしたから」という歴史的な理由がある。駿豆線は豆相鉄道という会社が、1898年に三島(現・御殿場線の下土狩)―三島町(現・三島田町)―南條(現・伊豆長岡)を結ぶ軽便鉄道の営業を開始したのが始まりで、その後、数度の資本変更を経て1917年に駿豆鉄道が発足し、この駿豆鉄道が現在の伊豆箱根鉄道に続く流れとなる。

「箱根遊船」は芦ノ湖で水上飛行機も飛ばしたが、天候に左右されやすく故障も多かったため、わずかな期間で終了した。1926年撮影 (写真:伊豆箱根鉄道)

一方の大雄山線は、大雄山最乗寺(道了尊)への参詣客の利便性を高めることを主な目的とし、1925年に大雄山鉄道により仮小田原―大雄山間で営業が開始された。しかし、経営難から芦ノ湖遊覧船事業を中心に、有料道路、バスなどを運営する「箱根遊船」を設立して箱根に進出していた堤康次郎氏に救援を求め、1933年に西武グループの一員となる。

他方、堤氏は駿豆鉄道にも「大正12(1923)年の関東大震災前後から株主として資本参加し、大正14(1925)年ごろからは近しい身内の人物を経営陣として送り込み、経営に参加するようになった」(伊豆箱根鉄道総務課長の芹澤章裕氏)といい、1938年には、駿豆鉄道と箱根遊船が合併している。

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