伊豆箱根鉄道の2路線が「まるで違う」理由 大雄山線と駿豆線、車両も経営戦略も大違い
その後、1941年に戦時統合(陸上交通事業調整法)により、駿豆鉄道が大雄山鉄道を合併したことで、同じ会社になった。戦後は1957年に伊豆箱根鉄道に社名変更し、1963年には三島広小路と沼津間を結んでいた軌道線(島津線)がモータリゼーションの波に押され廃止された。現在は同社の発行済株式総数のうち、西武鉄道が84.44%を所有する。
使用車両が違う
駿豆線は、機関車、作業車等を除く旅客車両を10編成運用しており、すべて20m車の3両編成だ。内訳を見ると、3000系が6編成、7000系が2編成、1300系が2編成であり、3000系と7000系は自社オリジナル、1300系は西武鉄道からの譲渡車両だ。
3000系のうち、3506編成は2017年4月より沼津を舞台にしたアニメとのコラボにより、ラッピング電車として運行されており、3501編成は、最近、かつての軌道線色であるグリーンとクリーム色に塗装され、5月26日の駿豆線120周年イベント時に大場(だいば)の同社工場で公開され、6月12日より運行開始した。また、1300系のうち1301編成は、2016年12月より西武イエローとウォームグレーという製造当初のカラーに復刻して運行されており、懐かしさを感じる。
一方、大雄山線は全7編成すべてが18m車の5000系3両編成だが、1984年3月に最初に導入された5501編成のみ鋼鉄車であり、残りはステンレス車になっている。5501編成は2016年10月より、かつて伊豆箱根鉄道のほか、西武鉄道、近江鉄道で見られた「赤電」と呼ばれる復刻カラーに塗装して運行されている。
では、なぜ駿豆線では20m車、大雄山線では18m車が運用されているのだろう。この理由について、同社総務部次長の髙杉泰美氏は「小田原駅を発車した大雄山行きの電車は次の緑町駅を出た後、東海道線と新幹線のガードをくぐる手前で大きく左方向に曲がるが、この半径100mの急カーブは18m車までしか曲がることができない」ためであると説明する。
大雄山線開業当初の終着駅である仮小田原駅は、緑町駅側から見て東海道線ガードの先にあったが、1927年4月に延伸工事が行われ、現在の小田原駅と緑町駅の間に新小田原駅が開設され、仮小田原駅は相模広小路駅と改称した。急カーブが造られたのはこの延伸工事のときだろう。ちなみに、大雄山線が省線(現・JR)小田原駅に乗り入れたのは1935年であり、このとき新小田原駅、相模広小路駅は廃止され、代わりに緑町駅が開設された。
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