業務内容への葛藤以上に、小林さんを転職に駆り立てたのは、人間関係だった。配属後に指導役として付いた先輩は、気まぐれに機嫌が変わる女性で、必要以上に気を遣った。いつしか、自分への「被害」を避ける接し方だけがうまくなり、ろくに仕事の質問もできなくなっていた。
ランチタイムはもっと悲惨だった。50代のお局社員がここぞとばかりにグチをぶちまける。お決まりの話題は同じ部署にいる別のお局社員の悪口で、何を食べていてもおいしく感じられなかった。
小林さんは「総合職の社員も、仕事よりも生活にプライオリティを置いて働いている人が多い印象でした。仕事に夢を持っている人は、あまりいないと感じました」と振り返る。
人間関係に嫌気がさしたとき、頭をよぎったのは、大学時代に打ち込んだフィリピンでの植林活動だった。小林さんは大学時代、ボランティア活動を行うサークルに所属し、3度フィリピンに渡っている。山中にある村で活動し、3週間ホームステイをする。受け入れ先は毎回同じ家族だったという。「私たちがお世話になったのは、人なつっこく家族のように迎えてくれる人たちだった。人って温かいなと感じたし、その恩返しがしたくて活動していた」。
フィリピンで人情に触れ、人が好きだったはずの学生が、社会に出て、「周りで働いている人がつまらない」と口にするようになっていた。小林さんは「私にはこの会社のカラーは合わない。自分を見失ってしまう」と危機感を覚え、辞める決断をした。
大手がかっこいい=勝ち組と考えていた
なぜ小林さんは、就活で大手のA社を選んだのか。理由はいくつかあるという。
「私は福島県出身で、大学で上京しました。『地方出身者あるある』だと思うのですが、そもそも有名な企業ですら知らないのです。情報の差もありますが、両親や知り合いが勤めていたなどの親近感もない。その背景で就活が始まり、企業選びではやはり大手がかっこいい、勝ち組になれると考えて選びました」
「あともう1つ」と少し照れながら挙げたのは結婚だ。「その当時、付き合っていた男性と結婚したい、と思っていました。なので、とりあえず給料がよいところを選び、やがて産休を取り、息長く仕事できればいいと考えていました」(小林さん)。
しかし、実際に働いてみて小林さんが気付いたのは、仕事に打ち込むことが、自身の充実感につながるということだ。「今思うと、就活時に描いた将来は、私が本当に求めていた幸せではなかったですね」。
小林さんはA社を退職後、人材関連企業で契約社員として3年半働き、現在は外資系の医療機器メーカーで営業の仕事をしている。正社員として入社し、2年目になる。扱うのは外科手術で使う機器で、操作を補助するために手術に立ち会うこともあるという。
「医師に頼りにされて、やりがいを感じています。仕事は誰とするかが大事ですね。外資系のため、売り上げの数字にシビアで忙しいけれど、毎日楽しいです」