「100回大会で100勝」目指す龍谷大平安の戦い 原田監督「平安の監督は仕事ではなく使命」

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社会人野球をあがった原田監督のもとに、「平安の監督をやってくれないか」とオファーが届いたのは1992年冬。でも、大好きな平安からの話であっても、「やります!」とすぐには返事ができなかった。平安の監督がいかに大変な仕事なのか、高校時代から見ていたからだ。その後、恩師や仲間の後押しもあり、1993年秋から監督に就いたが、そのときに決意したことがある。

「これは“仕事”ではなく、“使命”やと。『お前が平安を何とかせぇ!』という使命を与えられている。仕事なんて思ったら、絶対にやってられません」

就任してすぐに始めたのが、名門校めぐりだった。高知商、高知、松山商、高松商……、名門に流れる空気を肌で感じるために遠征に出向いた。

忘れられない遠征となったのが、松山商との一戦だ。試合前から、ネット裏の熱心なファンが「平安よう来たのー!」と拍手で迎えてくれた。でも、帰るときには「おい、平安、もう来んなよ!」と声をかけられた。何か失礼なことをしてしまったのかと心配したが、次の言葉を聞いたとき、そんなことを思った自分の心を恥じた。

「平安とは甲子園でやるべきや。こんなところでするもん違う! こんなところに来たらアカンぞ!」

心が震えるほどうれしかった。強い平安の復活を望んでくれていた。

「どんな顔の人が言ったのかまで、鮮明に覚えています。甲子園で絶対に松商と試合をする。その後、2001年夏の甲子園の準々決勝で松商(●平安3-4松山商)と当たったんです。うれしかったですね。それが、ぼくの中での……、今までの最高のゲームです……」

熱く語る原田監督の顔を見ると、目は赤くうるみ、涙が頬をつたっていた。一生忘れられないゲームとして、胸に刻まれている。

いちばんの願いは選手の自立

大会に出ている以上、勝ちを目指すのは当然のことであり、目標は日本一を獲ることにある。それでも、指導者としては勝つことがすべてではないと思っている。

「勝つためだけにやっているわけじゃないんです。入学してくる親御さんと子どもに言うんですよ。『甲子園なんかどうでもいいんです。ぼくのいちばんの目的というのは、自立です。自立があっての甲子園です。3年間やれば、やっぱり平安におってよかったなという想いは絶対にさせますから。でも、それまでは厳しいですよ』」

当然、時代の流れとともに、高校生の気質の変化を感じている。

「15年前と比べると、今の子は10歳は幼稚に感じます。野球を教えるのは2割ぐらいで、そのほか8割は教育的な指導ですよね。いちばん感じるのは、『自分で考えて、自分で動くことができない』。すべてが指示待ちになっている」

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