日本の「いじめ対策」決定的に欠けている視点 環境整備と学校以外の選択肢拡充が必要だ

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これまでは、「いじめっ子を厳罰化しよう」とか「道徳教育でいじめを抑止しよう」といった、部分的かつ感情先行型の議論ばかりが目立ち、いじめ対応のサイクルが意識されてきませんでした。また、道徳教育であるとか生徒指導といったような、子どもの内面に着目するアプローチばかりが目立っていて、環境を改善するという発想が脆弱でした。

いじめ対策においてこれからは、「心理的アプローチ」のみならず、「環境的アプローチ」が必要になります。どういう教室にすれば過ごしやすいのか。どういう教員であればいじめを抑止できるのか。

人の心ばかりを変えようとするのではなく、人が過ごす環境を変えることで、行動の変化を促していく。そうした、発想の転換が求められています。

報道バイアス

「いじめが増加している」「いじめが流行している」「いじめが凶悪化している」。こうしたイメージは、メディアによって助長された側面があります。そしてそのメディアによって共有された誤ったイメージは、いじめ議論をも歪めてしまいます。

そもそもメディアがいじめを取り上げるのはどんなときでしょうか。それは、「話題性のある特殊ないじめ」が発生したときです。いじめによって自殺した、被災地からの避難者がいじめられた、いじめの様子がネットで拡散されて大きく話題となった。こうした特殊ないじめが発生したとき、メディアはこぞって報道に乗り出します。

しかし、いじめは毎日あちこちで起こっていますし、子どもの自殺も毎年発生し続けています。メディアがあるタイミングで一斉にいじめ報道を繰り返したからといって、その時期にいじめが増加しているとは限りません。いじめ報道の流行と、いじめそのものの増減は、区別しなくてはなりません。

質的な面でも同様です。メディアでは、特に悪質ないじめが取りざたされがちです。激しい暴力を伴うケース、多額の金額を恐喝したケース、いじめ動画が撮影され拡散されたケース、そして不登校や自殺にまで追い込まれるケース。こうした事件が起こると、「事件報道」として、社会部の記者や情報番組のカメラクルーなどが対応します。

そうすると、いじめが従来の犯罪報道やスキャンダル報道と同様の方法論で取り上げられます。しかし、取材している記者たちでも、いじめ問題について詳しい人はまれです。そのため、誤った印象を与える報道がなされることが珍しくありません。

またワイドショーなどの場合、こうした事件についてコメントする人たちのほとんどが、いじめ研究についてのデータなどをインプットしていません。結果として、「最近の若者のいじめはひどい」といった見当違いの言説がふりまかれることになるのです。

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