障害者への「合理的配慮」はなぜ必要なのか 会社や同僚にとってのメリットとは?
われわれ人間も当然、生まれつき互恵的な道徳感を備えている。そして同時に、この掟を守るための機能も備えている。その機能の1つは、自分がギブした相手や自分にテイクしてくれた相手を正確に覚えているという「記憶(認知機能)」であり、もう1つは、公平感(fairness)と呼ばれる感覚だ。
互恵と公平感は、セットになる道徳感だ。われわれには、公平感が互恵と同時に備わっているからこそ、互恵的配慮が社会において保たれる。そうでなければ、他者にギブをせず、テイクだけを得る個体(フリーライダー)によって社会は崩壊してしまう。
互恵的配慮とともに、「しっぺ返し」も多くの社会的高等動物に見られる。このしっぺ返しの動機になるのは、フリーライダーに対して持つネガティブな道徳感情(他者批判)であり、「不公平感」と言うとわかりやすい。この感覚を誰もが生まれつき持っていることに異論はないと思う。
公平感が生まれもったモラルである証拠
しかし、驚くべきことに、公平感が生まれもったモラルである証拠は最近になってようやく出そろってきたのだ。互恵や公平感などのモラルの権威である霊長類学者のドゥ・ヴァールが、TEDで、「公平感はフランス革命で生まれたという学者がいた」という旨の冗談を言っていたが、本当に最近の話なのである。なお、このフランス革命云々のコメントは、かの有名な、「仲間がぶどうをもらえているのに、同じ課題で自分はキュウリしかもらえないと、サルも抗議する」ことを示した研究に対してである(見たことがない人はTEDをぜひ見てほしい)。
互恵的配慮が社会生活をする動物に必要な、基本的道徳感に基づくならば、それに従うのは非常に合理的であり、同時に感情的な配慮でもあると思う。前述した注意障害のある人に対する企業側の配慮は、そうしたほうが双方にとって合理的で、感情に寄り添っているからこそ導入できる。
もちろん、それには、企業に雇われているほかの人の立場からも公平に見える配慮なのかも重要である。障害のある人と企業の間にだけ互恵関係が成り立っていてもうまくいかない。周りから冷たくされたり、障害のある人にとっても自分だけ優遇されて不公平だと、肩身の狭い思いをさせたりすることにつながるからだ。そして、場合によっては、それが人間関係や組織体制にまで悪影響を与えてしまう。
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