障害者への「合理的配慮」はなぜ必要なのか

会社や同僚にとってのメリットとは?

だからこそ、リハビリテーション科の仕事は互恵的配慮の導入をして終わりになるわけではなく、同僚や上司との互恵的関係の構築のためにアドバイスをしたりするアフターフォローの仕事が残っている。むしろ、互恵的配慮の維持は、導入よりもよっぽど難しい仕事だと感じている。

互恵的配慮は経済的にも合理的

国際的な定義では、“「合理的配慮」とは、障害者が他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう”と記されている(障害者権利条約第二条、外務省による和訳より)。

私の感覚では、この「合理的配慮」の定義から、「互恵的配慮」のニュアンスは読み取れない。社会生活をする動物にとっては当たり前の道徳感を、人間の法でわざわざ定める必要はないということなのだろうか。それとも、障害のある人に対する不公平が社会の中にあるからこそ、それを正す法が、どちらか一方の肩を持っているように見えるだけなのだろうか。

この法を盾に、障害のある人にだけ一方的に有利な配慮をしようとして社会復帰に失敗したケースを私はたくさん見てきた。そしてその背景には、企業や事業者だけでなく、周りの人がもつ不公平感があったことも多かった。「そのような配慮をしたら周囲への示しがつかない」と企業や事業者に言われたら、リハビリテーション科が介入できる範疇でできる対策はたかが知れている。

障害のある人の周囲に対して理解と協力を促すように頼んでも、それが雇用者やほかの被雇用者にとって“過度の負担”であったら、強いることはできない。そう、法にも書いてある。人が親切に振る舞うには、余裕が必要だ。

二宮尊徳の言葉に、「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」というものがある。道徳を経済にかかわる法に定めようとする行為は、前者にあたる悪を正す行為だと言えるだろう。しかし、そしてその法によってしても、人が道徳的に振る舞えないのであれば、その理由は後者にあるのかもしれない。

少なくとも、道徳感のうち、互恵と社会経済を切り離して考えることはできないと思う。私の知る限り、互恵的関係の構築がうまくいくほど障害のある人の社会参加が、つまり経済世界への参加がスムーズになる。きっとそれは、互恵的配慮には経済的にも合理的と言える面があるからなのだろう。そうだとしたら、障害のある人に対する社会的リハビリテーションは、すべての働く人にとっても有益で、“合理的な”互恵関係構築のモデルになりうると言えないだろうか。

私は、合理的配慮のあるべき姿は、障害のある当事者や家族、リハビリテーション医などの支援者だけで考えるべきではなく、社会の全員で考えていくべきだと考えている。すべての働く人、個人個人の事情に合わせた、真に合理的な配慮を考えるために、本稿がその一助になれば幸いである。

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