障害者への「合理的配慮」はなぜ必要なのか 会社や同僚にとってのメリットとは?
法的に義務化される以前は、雇用者サイドに「合理的配慮」の必要性について説明すると、必ずといってよいほど、「企業・事業者にとってどのように合理的なのか?」と尋ねられた。そして、この質問の意図の多くは、「企業・事業者にどのようなメリットがあるのか?」という旨だった。その考えは納得できる。“合理的”というと、患者にとっても、企業にとっても「win-winな関係」を作るための配慮に聞こえる。
たとえば、注意力が障害された人は、まとまった時間に連続して作業するより、細切れの時間で休み休み作業をしたほうが、結果的に同じ時間でたくさんの作業ができる。午前中の3時間を連続して作業した場合よりも、45分働いて15分休む事を3回繰り返したほうが作業量を多く保てるなら、休み休み作業させたほうが障害のある人にとっても企業にとっても得である。
このように、障害のある人にとっても雇用者にとっても負担がなく、よい結果をもたらすwin-winな関係につながるワークスタイルを導入するように、私は指導してきた。ここで例を挙げたような「互恵的配慮」が合理的であることには、誰も異存がないだろう。
「互恵的配慮」は人間が生まれもったもの
近年、互恵(reciprocity)は、人間が生まれもった基本的道徳感の1つと考えられるようになってきた。互恵は聞きなれないかもしれないが、ギブ&テイクの一種と言うとわかりやすいだろう。生物学では、あとで見返りがあると期待されるために、ある個体がほかの個体の利益になる行為を即座の見返りなしで取る行動を「互恵的利他行動」と言ったりする。
自然界における互恵的利他行動の例でわかりやすいのは、チスイコウモリの血液のやりとりである。チスイコウモリは洞穴などで集団行動をする生物で、夜にほかの生物の血を吸いにいっせいに飛んで行く様をテレビなどで見たことがある人も多いだろう。
実は彼らは満腹の状態からでも、3日も血を吸えなければ餓死してしまう。しかし群れの中の何割かは、巣に戻るまでにまったく血を吸うことができない。このまま血を吸えなければ明後日にも餓死してしまうわけだが、実際はそうはならない。血をまったく吸えなかったコウモリは、血を十分に吸ったコウモリに血を分けてもらえるからだ。
血を与えたコウモリが失う残り時間よりも血をもらったコウモリが得る残り時間のほうが長いため、血を分け合ったほうがお互いの生存に有利である。そしてチスイコウモリは、仲間の誰が自分に血を分けてくれたか、また、自分が誰に血を分けたかをちゃんと覚えていて、お返しをしない個体は次から血を分けてもらえなくなるという「しっぺ返し」を受ける。
餓死するまでの猶予が数日しかない彼らが生き残ってこられたのは、このお互いに血を分け合う「互恵的配慮」のおかげであると言えるだろう。互恵的配慮は群れで行動する生物全般に見られ、自然の掟の1つであると言っても過言ではなさそうである。
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