北陸新幹線延伸まで5年「空港の街」小松の今 鉄路と空路「敦賀開業」後の共存の行方は?

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冒頭に記したように、筆者が「敦賀延伸」を強く意識したのは、今年1月、金沢市の民放テレビ局から講演の依頼を受けた時だった。この局が石川県内の自治体とつくる観光関連組織のセミナーで「新幹線の恩恵を受けてきた石川県が次に打つべき点は何か」について語ってほしい――という趣旨だった。

不覚にも意表を突かれた思いがした。新函館北斗開業2年目、金沢開業3年目と、いわば過去から現在にばかり目を向けている間に、沿線地域は将来を見ていた。同時に、筆者が金沢市内への訪問に終始し、石川県内の様子をほとんど確認できていないことに忸怩(じくじ)たる思いも抱いた。講演は3月に無事終わり、出席者との名刺交換がきっかけで、6月の小松市での講演が実現した。この間、福井県内のある自治体からも、敦賀延伸や北陸新幹線全線開業に向けて、11月の講演依頼を受けた。地元の熱意や問題意識には温度差がありながらも、金沢以西が動き始めている、と実感した。

今回の訪問では、ホテルの建設ラッシュが進む金沢市・香林坊付近の光景を歩きながら確かめた。差し渡し200mほどのエリアで、少なくとも5軒のホテルの新築や改築が行われる様は、同じくホテル建設が相次ぐ函館市内を想起させた。同時に、両都市とも、ホテルの供給過剰を懸念する声が上がっていることを思い起こした。金沢市内や石川県内の概況は、夏の終わりに実施する調査で把握する予定だ。

「金沢以西」はどう変わるか

北陸線から見える白山市の北陸新幹線工事現場。右奥は白山=2018年6月(筆者撮影)

レンタカーで加賀南部を回ってみた。初めて目にした白山総合車両所の近くでは、金沢開業に合わせて建設された新幹線高架橋がぶつりと途切れていた。かつて、盛岡市北郊にも同様の景観が存在したことを思い出した。東北新幹線の建設促進運動に携わっていた人々は、自嘲ぎみにその姿を「ジャンプ台」と呼んでいた。

途切れた高架橋の向こうには、見渡すかぎり新幹線工事現場が連なり、その横をひっきりなしに「サンダーバード」や「しらさぎ」が通り過ぎる。加賀温泉駅は駅舎と線路の工事が始まっており、仮設駅舎の出口では、団体客を待つ加賀温泉郷の送迎用バスが並んでいた。地元の願いどおりに、「かがやき」は止まるのだろうか。

敦賀延伸は沿線や小松空港の行方にどんな影響をもたらすのだろう。金沢以西の空路利用者が、新たに鉄路へシフトしうるのか。北陸の空路維持へ、富山県と石川県、富山空港と小松・能登空港が連携する可能性はあるのか。福井県の北部、いわゆる「嶺北地方」と加賀南部、合わせて約100万人の移動はどう変化するか。敦賀地域は今でも、東海道新幹線・米原経由のほうが、首都圏からの時間距離が短い。しかも、北陸新幹線沿線は直線距離に比べて営業キロが長いうえに、東西のJRにまたがるため、料金が割高になる。

また、「サンダーバード」「しらさぎ」が金沢止まりとなり、富山市民の不興を買っているが、その不興が金沢―敦賀間に拡大するのだろうか。不透明な要素が少なくない中、地域にとって最大の脅威といえる「人口減少・高齢社会の本格到来や労働力不足」に対して、新幹線をどう活用するのか。特にこのポイントに注目しつつ、地元の皆さんと意見交換や議論を重ねていきたい。

櫛引 素夫 青森大学教授、地域ジャーナリスト、専門地域調査士

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くしびき もとお / Motoo Kushibiki

1962年青森市生まれ。東奥日報記者を経て2013年より現職。東北大学大学院理学研究科、弘前大学大学院地域社会研究科修了。整備新幹線をテーマに研究活動を行う。

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