廃止30年、「青函・宇高」鉄道連絡船の歩んだ道 海を越えて鉄道をつないだ船の悲喜こもごも

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宇高連絡船「伊予丸」の姿(筆者撮影)

瀬戸大橋が完成するまで、本州と四国を結ぶ鉄道接続は宇野―高松間の宇高連絡船が担っていた。この航路は1910(明治43)年に宇野線が開通したのと同時に開設された。

筆者は四国への取材にはひんぱんに宇高連絡船を使っていた。所要時間は約1時間だったがデッキで営業していた「讃岐うどん」を食するのが楽しみだった。潮風にあたりながら食べる讃岐うどんはまた格別なものがあった。宇高連絡船廃止後も高松駅構内で「連絡船うどん」として営業しているのは連絡船を利用した者にとってはうれしい限りだ。

宇高連絡船にはホーバークラフトによる「急行」もあった(筆者撮影)

1972(昭和47)年には連絡船初の「ホーバークラフト」便が急行として就航、一般の連絡船では1時間かかった所要時間が23分に短縮された。筆者は寝台特急「瀬戸」からホーバークラフトを乗り継いで四国に渡り、気動車特急「南風」「しおかぜ」や希少価値の高いDF50形ディーゼル機関車を追って撮影した。

宇高連絡船と宮脇俊三氏(筆者撮影)

1988年の瀬戸大橋線開業に伴い宇高連絡船も廃止の運命をたどったが、このとき瀬戸大橋線の開業前にキハ181系ディーゼルカーによる試乗列車が運行された。

筆者もこの試乗列車に乗っていたが、報道関係者や招待客の中に紀行作家の宮脇俊三さんが乗っておられた。「南さん、帰りは連絡船にしませんか?」と言われ、試乗会列車の復路に最後の宇高連絡船の旅を楽しんだのが良き思い出である。

今も鉄道連絡船は現役だ

鉄道連絡船は、最盛期には青函、宇高連絡船のほかにも下関と門司を結んだ関門航路(貨物は1942年・旅客は1964年廃止)、広島県の仁万と愛媛県の堀江間の仁堀航路(1982年廃止)、山口県の大島航路(大畠駅―小松港間、1976年廃止)などがあった。

今も現役の鉄道連絡船はJR西日本宮島航路(フェリー)が宮島口―宮島間に航行中であり、安芸の宮島が世界遺産に登録されたこともあって、この「連絡船」は活況を呈している。JR関係の航路としては、JR九州グループのJR九州高速船が運航する博多と韓国の釜山を結ぶジェットフォイル「ビートル」もある。これははたして「鉄道連絡船」か?と思われる読者諸兄も多いと思うが、筆者はあえて鉄道連絡船の仲間入りをさせたいと思う。

南 正時 鉄道写真家

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みなみ・まさとき / Masatoki Minami

1946年福井県生まれ。アニメーターの大塚康生氏の影響を受けて、蒸気機関車の撮影に魅了され、鉄道を撮り続ける。71年に独立。新聞や鉄道・旅行雑誌にて撮影・執筆を行う。

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