せっかく東京などから分配された税金が、地方がなんでも外注することで、また東京の会社に還流して、そこから適当な提案をされる。しかも地方はそのいい加減な計画を鵜呑みにして失敗事業をやってしまい、負担を増加させて衰退を加速させる、という悪循環が発生しています。
外注主義で奪われる「地方の3つの能力」とは?
このような外注主義が生み出す悪循環は、地方から3つの能力を奪います。
(1)執行能力がなくなり、何も自分たちでできなくなる
つねに何をするのにも外注していると、自ら企画を考えたり、計画を立案したり、さらには実行する能力がなくなってしまいます。結局、何をするのも外注ではできないため、機動力も遅く、また自前でやっていないので変更をかけるのにも外注先との協議、時に追加予算まで必要になることも少なくありません。となると単年度主義の行政などでは、途中でうまくいかないのがわかっていながら、頑なに計画どおりに進めることに固執したりします。
(2)判断能力がなくなり、「みそくそ一緒」になる
もともと自前でやったうえで、一部を外注するのであればよいのですが、何をするのも外注してしまうことで、まったく何もわからないため、人にやらせる業務の内容を設計することさえ外注任せとなり、さらに納品物の「良し悪し」の判断能力までも削がれていきます。「名ばかりコンサル」があちこちで仕事できる理由の一つです。
メーカーなどでは外注を使うにしても、自らその見積もり内容の正当性などを判断したり品質を判断したり、技術開発能力を維持するために小規模な内製用の子会社を維持し続けたりすることがあります。自分たちに判断能力があるからこそ、人に任せる外注はうまく使えるのです。
(3)経済的自立能力が削がれ、カネの切れ目が縁の切れ目
さらに外注主義の最悪なところは、毎年つねに「言われるままのコスト」がかかり続けるということです。自分で執行できない、さらには判断さえできないことを他人に任せてしまえば、イザという場合「なら自分でやりますよ」と出られません。そのため、いったん任せたら永遠におカネを払いつづけなくてはならなくなります。何をやるのにも予算、予算。そしてやった事業は失敗するものばかりなわけですから、おカネが尽きるのも当たり前なわけです。
頼むためのおカネがなくなれば、何もできなくなり、カネの切れ目が縁の切れ目、外注先であったときには相談を聞いてくれていた企業は「おカネがないなら仕事はできません」と去っていくことになります。そして手詰まりになるのです。
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