その美しかった島がまさに阿鼻叫喚の地獄絵図に変わる姿もまた、鮮烈に描き出す。「小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった」「優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた」「青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった」「草の匂いは死臭で濁り」と「平和」と「戦争」を対比させることで、その残酷、無常さを際立たせた。
彼女はまさに平和の尊さと戦争の残酷さを「語る」のではなく、我々に「見せていた」。英語圏では、コミュニケーション教育の過程で、小さいころから叩き込まれるルールがある。「Show. Don’t tell」というものだ。「語るのではなく、見せろ」。つまり、「戦争は残酷だ」「平和は大切だ」そんなありきたりな抽象論を語るのではなく、もっと生々しい言葉でイメージとして植え付けろ、と教えられる。
たとえば、「太郎は悲しかった」ではなく「太郎は歯を食いしばり、必死で涙をこらえた」となり、「秋になった」ではなく、「公園は色とりどりの落ち葉が敷き詰められ、歩くたびにかさかさと音を立てた」といったように、徹底的に彩りのある「生きた」言葉に言い換えるように訓練されるのだ。
「命」「今」「生きる」
過去と現在と未来、という3つの象限を切れ目なく行き来しながら、「過去」の過ちを再び「未来」に起こさないことを、未来につながる「今」、誓い、平和を発信しようと行動を呼びかける。
「命」「今」「生きる」という3つのキーワードをちりばめながら、躍動感のある言葉で織りなされる壮大な抒情詩は、激しい地上戦を生き抜いた曽祖母の体験をもとに紡がれたものだという。
わずか14歳だというこの少女の口から繰り出されたのはまさに「生きた言葉」の数々だった。紙やパソコンに書かれた「死んだ言葉」をただ、読み上げるのではない。「島民の平和への希求」という思いが結集して、まるで乗り移ったかのように、彼女はすべてをそらんじてみせた。シャーマンか巫女のように、自己を超越した「強い思い」に憑依(ひょうい)されていた。そのすごみはそのデリバリー(話し方)にも現れた。
堂々と、会場を見渡し、全方向に目を配り、たじろぎも恥じらいもない。「詩に込めたメッセージをしっかり伝えられるように読みたい」(琉球新報)と語っていたように、一つ一つの言葉の意味に情感を重ね合わせた。穏やかな言葉には、優しく包み込む口調で、「こみ上げるこの気持ち」という場面では、あふれ出る喜びを、そして、一転、戦争の場面では、厳粛さと悲しみを表現した。
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