もちろん、その理論はすべてガラクタだった。唯物史観がほぼ全面的に誤りだったのは証明済みだ。20世紀の哲学者、カール・ポパーがマルクスを「偽予言者」と呼んだのは正しい。資本主義を受け入れた国々は民主的で開かれた社会となり、経済的にも繁栄した。
反対に資本主義を否定した政府はどれも失敗している。これは偶然ではない。私有財産制を否定し、政府が経済をコントロールすることで、経済発展に必要な起業家精神が失われただけではない。社会から自由そのものが奪われたのだ。
中国の経済発展はマルクス主義のおかげではない
マルクス主義者はすべてを階級闘争に結び付けるので、異論を唱えれば、許しがたい反革命分子と見なされる。つまり、マルクス思想と論理的に切っても切り離せないのがマルクス主義政権なのだ。
ポーランド人哲学者、レシェク・コワコフスキ氏は共産主義者からマルクス批判に転向した人物だ。マルクスは生身の人間にまるで関心がなかった、と書いている。「人間には生死がある。男もいれば女もいる。老いも若きもいれば、健康な者もそうでない者もいる。マルクス主義者はこうした事実をほぼ完全に無視している」。
マルクスの無機質な教義に基づく政府が例外なく全体主義に向かったのはなぜか。その理由を、コワコフスキ氏の洞察は教えてくれている。
中国の習氏は、中国の経済発展がマルクス主義の正しさを証明する「鉄壁の証し」だと考えている。だが、本当は逆だ。大躍進政策や文化大革命で大量の餓死者や残虐行為を生み出したのは、真に共産的だった頃の中国ではないか。
その後、中国は教条的なマルクス主義を捨て、改革開放を推進。私有財産制を復活し、起業を容認したことで目覚ましい発展を遂げた。いま中国の発展の足かせになっているものがあるとすれば、それは非効率な国有企業や抑圧的な政治といったマルクス主義の残滓だ。
確かに、生誕200年にマルクスの知的遺産を振り返るのは有意義だろう。だが、祝ってはいけない。反対に、マルクス思想に潜んだ全体主義の誘惑から、開かれた社会を守る契機とすべきなのだ。
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