「クルマ王国」米国で進化した路面電車の実力

市街地の軌道を地下化、ライトレールに脱皮

MUNIがライトレールに進化するのはこの後、ダウンタウンとサンフランシスコ国際空港、サンフランシスコ湾岸のオークランドなどを結ぶBART(ベイエリア高速鉄道)の開業と関係している。

BARTはダウンタウンを北東から南西に貫くマーケット・ストリートを地下で貫くことになった。そこでMUNIはトンネルを上下2層とし、地上を走っていた路面電車を地下に走らせ、軌道敷はバスとトロリーバスのレーンとしたのである。地下区間が開業したのは1980年で、同時にMUNIメトロと名乗るようになった。車両も旧来の単車から連接車に切り替わった。この変更は市民からも歓迎されたようで、2007年に湾岸の新設軌道を走るT系統が加わっている。

再利用されたマーケット・ストリートの軌道を走る流線形の「PCCカー」(筆者撮影)

興味深いのはマーケット・ストリート上の軌道が再利用されたことだ。こちらは1983年から毎年夏に行われた、軌道を使って昔の車両を走らせるイベントが発展したもので、NPOの協力を受けてE/Fの2系統が運行している。ヒストリック・ストリートカーという名前のとおり、車両は良き時代の流線形が魅力的な「PCCカー」などを見ることができる。

観光資源として評価の高いケーブルカーを長年運行し続けたノウハウが、路面電車の軌道を観光用に転用するという発想に結び付いたのだろう。

鉄鋼の街に生き残った路面電車

アレゲニー郡港湾局が運行するピッツバーグの路線バス(筆者撮影)

もうひとつのピッツバーグもまた、第二次世界大戦後まで路面電車が生き残っていた米国都市のひとつであるが、1964年に運営がピッツバーグ鉄道会社という民間企業からピッツバーグが属するアレゲニー郡の港湾局に移管されると、バスへの転換が進んだ。

鉄鋼生産で栄えたピッツバーグのダウンタウンは、アレゲニー川とモノンガヒラ川が合流し、オハイオ川となる地点にある。残された路面電車は、ここからモノンガヒラ川を渡って南側のマウントワシントン地区に向かう路線だけが残ったが、ここもBRT(バス高速輸送システム)などバスへの転換が考えられていた。

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